囲碁教育研究会

囲碁教育研究会(第7回)の纏め

(菅野礼司)

今回はエントロピー概念に基づく囲碁理論の解析について、私(菅野)と中西氏の報告を中心に議論がなされた。議論は大変活発で、内容的にも好評であった(会の終了後、多くの方から寄せられた感想)。しかし、残念ながら時間不足で十分議論できなかった。そこで、今後の考察を進めるための資料として、その時の発言を基に、私の補足をかねて議論を纏めてみた。

エントロピーによる囲碁理論の解析について

(1)

この種の考察は、一般的でなく誰もしていないので、馴れていないこともあって理解しにくい。特に、エントロピー概念を理解し使いこなすのがむずかしい。さらに、このような考察が、囲碁理論に役立つのかという疑問も一部にある。

囲碁を理論化し、強いコンピュータソフトを作るためには、まだいろいろな方面からのアプローチが必要な段階である。囲碁ソフトの開発は他のゲームに比して一段とむずかしく、なかなか良いソフトはできない。囲碁ソフトの開発には、巧い「評価関数」を構成することが欠かせないであろう。そのために、エントロピー概念を用いたこのような分析が役立つのではないかと思う。最初から結果の見えるものや、答えが予測できるものからは、質的に新しいものは生まれないし、大きな発展は望めない。まだ不定要素
が多く、この先どうなるか判らないが、困難でも未知のものに挑戦したい。

囲碁を理論化し、さらにその理論を体系化できるならば、囲碁はゲームとしても大きく進歩するだろうし、そこから新しい学問分野が拓かれる可能性もある。フォン・ノイマンがゲームの理論を築いたことで、それからオペレーション・リサーチの学問分野が生まれ、経済理論にも大きく寄与している。しかし、そのゲームの理論も最初は、単純な理論であったし、これほどまでに発展するとは予想されていなかったろう。

(2)

エントロピー(秩序性)、エネルギー(勢い)、シナジー(協同性)概念を用いた菅野論は、定性的で直感的には理解し易い(特に、秩序性を用いた説明、「和田博3子必勝法」の分析)。しかし、エントロピーを盤上に置かれた全部の配石で決めるから、定量化がむずかしい(膨大な情報量を扱わねばならない)。エネルギーやシナジーを考慮すると、一層複雑になりコンピュータに載せるのは大変である。

それに対して、中西論は次の一手によるのエントロピー増加を評価して着手を決めるので、プログラミングが比較的単純になる。また、評価関数を構築する手がかりを与え、大いに有効であろう。その意味で、コンピュータに載せうる路を拓いたと言えるであろう。

(3) 中西論の問題点について

次の着手を決めるのに、着点の多いものほどエントロピーが大きく、そのエントロピーが大きいほど良い着手とする。そして、その着手は目的(あるいは働き・機能)の異なる幾つかのコンセプトにより分類され、コンセプトが多いほど着点も増えるから、エントロピーも大きくなるとみる。要するに一つの着手ができるだけ多くのコンセプトを持てば、エントロピーも増すから、そのような着手を選べというわけである。

これに対して、目的性のあるコンセプトには「意識」、つまり「価値」が含まれている、エントロピーや情報(負のエントロピー)は没価値的ではないか、という疑問がだされた。 確かに、元もとのエントロピーや、現在の情報理論には価値は含まれていない。同じ情報でも、それを受け取る人により情報の価値が違うので、価値を付与した情報理論を作るのはむずかしい。しかし、囲碁の場合は、人間社会の価値基準よりも単純に着手の価値(働き・機能)を評価できると思う。それゆえ、コンセプトの中味により価値(働き・機能)を評価し、ウエイトを付けてエントロピーの値を決めることができるはずである。ただし、価値評価は、同じコンセプトでも周囲の状況により異なるので簡単ではないが、研究すべき課題となりうると思う。不完全でも、これができれば非常によいソフトが得られるだろう。

そもそも、異なる概念でそれぞれのエントロピーを定義したとき、それらを同じエントロピーとして単純に加えることはできない。(部分系のエントロピーを同じ方法で定義すれば、全体のエントロピーはそれらの和となる。)働きの異なるエントロピーにはウエイトを付けて加えるべきである。

それゆえ、囲碁理論の構築には、エントロピーのみでは不十分であり、エントロピーの質を区別する概念が必要である。その一つとして、シナジー(協同性)があるように思う。 また、中西論における次の着手の選択基準としての「エントロピー」は、本来のエントロピー概念とは異なるように思う。今後は、必ずしもエントロピーにこだわらず、新しい概念で置き換える努力も必要であろう。
 

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