安全性と効率
- 大きな地を囲えて勝てる人ほど、棋力は高い。
- 地を囲う空間が大きいほど、その効率は高くなりますが、地を囲うに必要な石数が多くなるため、それに比例して地にすることが難しくなります。
つまり、
- 小さくで邪魔され難い地は、安全ではあるが効率が悪く、大きくて邪魔されやすい地は、危険ではあるが効率がよいことになります。
このことから、最も良い手とは、安全で囲える地の中で、もっとも大きく囲える地の発見が最善手であるといえます。つまり、感覚的にどんなに良い手であっても、実際に地にならなかったり、自分の解決能力以上の危険性がある手は、良くない手といえます。
つまり、地を増やせるという読みの検証のない、感覚的にすばらし手は、上達を遅らせる原因となるのです。つまり棋力の上達は、知識、理論、読みの3つのバランスによって成り立っています。このことは、上達過程での教育で、もっとも厄介な問題といえます。
この感覚重視の教育に関する悪影響は、級位者以下までの教育においては、ほとんど影響はありません。高段者になればなるほど大きく影響し、また検証する力のない
・指導者がいない場合は、本手と嘘手の差として気づかず、間違った教育として普及することになります。
このため、教育として情報伝達だけでなく、正しい手を覚えるのはなく、正しい手を身に付ける思考プロセスの教育がより重要になります。
正しさへの自己検証を可能にする囲碁ゲーム
囲碁では、勝つためにどの手が正しかったかの研究がよく行なわれます。しかしその多くは、ただの意見や感想を聞くだけの意見交換であって、本来の真偽検討はほとんど行なわれません。その理由は、共通した目的、価値基準となるものが確定されていない(法則による検証がない)ため、単なる変化図の検討になっています。そのため、その評価も、個人の経験と感性に委ねられています。
実は、このような非科学的な教育手法は、学校教育などを含めたあらゆる教育現場で残っています。
自己成長の度合いを、その個人が自分自身で客観的に判断できる基準や訓練、手法への教育がなされていないことが原因と考えられます。
教育は、単に知識情報を与えるでけでなく、自己の価値基準に基づいた、検証能力や証明能力を育てなければなりません。また、価値基準が複数ある場合、その関連をより明確にする努力も必要になります。このことによって、自己が確立し、他人との考え方の差や特性が明確になります。そしてこれらの特性の能力差とその比率バランスが、個性として、その役割を発揮することになります。
囲碁におけるゲームの教育的効果として、次のことがあげられます。
地を囲うという命題に対して、
- どのような考え方があるのか
- どのような解決方法があるのか
- その解決方法を可能にすための前提条件は何か
- もし前提尾条件が欠落したら、どのような結果を導くのか
このように、社会生活として生きていく上でも、最も基本で必要な訓練をゲームのなかで養成し、社会に役立つ知恵に変換できるのはゲームとして、普及できればと考えます。 |