碁は着眼に大小あり。大は超脱の境地、全体の構えの強さ、勢いである。小は利である。わずかな利を貪って薄くすることを小とするのである。大とは全体的強さである。
心の流れが利に走らず、全体観に立脚することで、相互関係の中心にこそ主点をおくことである。読むにおいてもしかり。利でなく、体勢的主点、相互の中心点にこそ中心を置くべきである。
僕のいけないのは、独善的考えと直接的思いである。それは事をする場合に、すぐに効果を願う心である。碁の本質は交互に打つものであるから、次へ次へとふくみを見て行く。それは互いにやる、やられる状態の構え、布石なのであって、なんでもすぐにはうまく行かない。またあまり先に打って行っても、一たび薄くなるとよりが戻る。
碁を考えるにさいして、たとえば地域を囲う場合でも、それが単に囲う場合だと利用される。反動で固められる。自然に囲うのでなければならない。また囲いが薄い、傷が多い場合など、むしろ囲う心を放棄すべきである。
相互関係の強弱を見通すことが重要である。石の連係、厚くなる点に威力が存在する。
強弱によって、自らの堅陣はこれを囲わず、また隙間の多い地点は地とせず、なにごとも自然のおもむくところに従う。
考えるところは損得ではなく、理法に照らす。己を出してはならない。大勢観を失しないように心がけるべし。相互の強弱であり、利に走ってはならない。それはたとえ忍びがたくてもじっとしんぼうすべきである。
(着眼に大小あり 昭和42年9月9日)