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半田道玄「天地の理」 と 碁の方程式


半田道玄の覚え書きから天地の理にかなう より>

その1

<天地の理 平気で駄目を打つ 抜粋 >

名人上手となると、相手があって争うことだという認識から、相手の心の力に乗って自己の発展とする。その欲する心を利用して自己の構えを築くのである。であるから、自分の心から、利用されるところをなくすことである。
(昭和43年3月4日)

<碁の方程式>

囲碁の最大の手は、常に相手の手となる。地を囲おうとすれば、消す手が最大となり、石を取ろうとすれば、逃げる手、生きる手が最大となる。

その2

<天地の理 大観の見地 抜粋>

碁は深いものであって、一面から見て理にかなわなくても、大局、全体的に見て、大勢、大観の見地から肯定される場合もある。
たとえば、厚みを形成しても、辺の星下に相手の石があって塗った効果はない。そういう状況であっても、全体的に厚くなるために広く心を持って打てることがある。それを、当面の心によっていけないとすればそれまでである。その心しかないから奥がみえないのである。
部分的心の争いでなく、広い見地から、超脱の境地である。良し悪しはわからないのである。自らの特能をいかして、自ら信ずるところをもって打つ。自ら考える理法である。
                (大観の見地 昭和43年3月4日)

<碁の方程式>

  1. 逃げた方が有利なのか、捨てた方が有利なのかなど判断できない場合は、勝負にこだわらず結果を恐れず、自分の気持ちに素直に打つことが、上達の近道となる。
  2. 全局的な石の配置によって、最善手として偶然の妙手がうまれる。定石は部分的には最善手といえるが、その価値は、厚みとなる側の状況によって変化します。

その3

<天地の理 着眼の大小>

碁は着眼に大小あり。大は超脱の境地、全体の構えの強さ、勢いである。小は利である。わずかな利を貪って薄くすることを小とするのである。大とは全体的強さである。
 心の流れが利に走らず、全体観に立脚することで、相互関係の中心にこそ主点をおくことである。読むにおいてもしかり。利でなく、体勢的主点、相互の中心点にこそ中心を置くべきである。
 僕のいけないのは、独善的考えと直接的思いである。それは事をする場合に、すぐに効果を願う心である。碁の本質は交互に打つものであるから、次へ次へとふくみを見て行く。それは互いにやる、やられる状態の構え、布石なのであって、なんでもすぐにはうまく行かない。またあまり先に打って行っても、一たび薄くなるとよりが戻る。
碁を考えるにさいして、たとえば地域を囲う場合でも、それが単に囲う場合だと利用される。反動で固められる。自然に囲うのでなければならない。また囲いが薄い、傷が多い場合など、むしろ囲う心を放棄すべきである。
相互関係の強弱を見通すことが重要である。石の連係、厚くなる点に威力が存在する。
強弱によって、自らの堅陣はこれを囲わず、また隙間の多い地点は地とせず、なにごとも自然のおもむくところに従う。
考えるところは損得ではなく、理法に照らす。己を出してはならない。大勢観を失しないように心がけるべし。相互の強弱であり、利に走ってはならない。それはたとえ忍びがたくてもじっとしんぼうすべきである。
              (着眼に大小あり  昭和42年9月9日)

<碁の方程式>

  1. 真理としての変化は、大勢観より生まれ、相手の意志への反作用として次の最善手を生み出す。
  2. 本来の戦いは、構想への準備として生まれ、一旦戦いが始まると、誰もその流れを変えることはできない。
  3. 最善手とは、相手の思考の中で生まれた最善手の目的を阻止すことによって生まれる。

その4

<天地の理 妙智 抜粋>

石を取りかけに行くには、よほどの準備が必要である。それなりの覚悟がいる。だから攻めるに際しては、取りに行かず、やっつける前に交渉すべきなのである。相手は心に負担があり、弱みとなっているので後ろに引くことになろう。それ以上は思わぬことである。
本当に石が取れるのは、相手に気取られない不意打ちの時である。知らぬ間に囲われていたという状態である。そういうふうになるのは、やはり布石によってである。布石に遅れたり、ことを早まると失敗である。
             (妙智 昭和42年1月25日)

<碁の方程式>

石は取れない、地は囲えないからゲームとして成立している。石が取れる場合は、相手が無理手を打った場合と、見損じをした時のみである。

その5

<天地の理 見えない世界 抜粋>

碁の本質は講和である。流れる水にしたがう態度である。それは彼我の事態の現実に処して行く心であって、それには損するとか、得しようとか、自分一人の考えはない。独善がない。一人だけでよいという考えはなく、皆全体という心である。
             (見えない世界 昭和41年8月6日)

<碁の方程式>

調和とは、全体としての微妙なバランスの上に成り立っている。一歩間違えれば、瓦礫のように崩れ、また変化に対しては、すばやく柔軟に対応できる二面性がある。

その6

<天地の理 囲わず、守らず、攻めず 抜粋>

碁は、囲わず、守らず、攻めずを三法とする。
知、動作、心を三法とする。
恐れず、悔いらず、怠けずが三法。
貪らず、焦らず、踊らずが三法である。
(見えない世界 昭和40年11月13日)

<碁の方程式>

ではあるが…
生きているから変化する。変化する自己の発見によって、どんな苦労や努力も楽しみになる。