ある日、電話が鳴った。誰かと思えば、またマサである。
「このままだと、コンピューターを対局させているという実感が涌かない。」
「問題を解くプログラムを作っているようでつまらないよ。」
以前と今日の突然の話、その内容が飛んでいる。今日はちょっといつもと違う口調である。
「人間のような感情を持った対局ソフトが作りたい」という。この馬鹿者が、なんて高慢なことを言うのかと思いながら…。
「コンピューターはロボットだよ。到底人間にはなりえない」と瀬越はマサに同情し慰めるが
「でも、最近では人口知能が発展して、人間と区別できなくなってきたという記事を読んだことがあるよ」と即座に反論してくる。
「ところで、対局ソフトの開発の方は、順調かい」
「順調なら、君のところに電話などしないよ」
「なんていい草だ。俺はお前のカウンセラーなんかでもないだけど」
当然ながら、瀬越は報酬など、一銭も受け取ってはいない。
「ね〜。そう怒るなよ。定石はやはりデータで打たせるしかないよな」
今度は、何かの答えを求めてきている。
「そうだね。俺にもわからないが、きっとそうしかない」
「でもね….」
「定石は登録できたけど、人間の方が定石通りに打たないと、コンピューターは反応できない」
「あたり前だろ」
「そうなんだが、相手が20級以下の初級者では、定石なんていう知識がない」
「それに、碁はどこにでも自由に打てるゲームだから、定石を覚えせても効果がない」
「それで困って、電話してきたのか。碁より自由な気ままなお前の性格を先に改善して欲しいものだよ」
「そういうな。長い付き合いだろ、ちょっとは慰めてくれ、できれば何かいいアドバイスを瀬越大先生様」
「その大先生はいいから、どんな答えを僕に求めているのかな」
「相手が定石通りに打ってこない時は、どうすればいいのかな」
むむ、これは開発に困ったマサからの質問にしては、難しい問いかけである。
瀬越の本音は「これは困った」であるが、
「格言に、『わからない時は手抜きせよ』というのがあったよな」
「あった気がする」
「なら、コンピューターがいいと思う場所に打たせればいい」
「そうか、なるほど、やっぱり君は頼りになるな。ありがとう」
そして、電話が切れた。本当にその意味がわかったのかどうかは、はなはだ疑問であるが、マサの気分だけは、少し晴れてきたようである。