大学3年の時になった初めて、長野で碁会所という場所に入った。席主(店主を碁会所では席手と呼ぶ)から
「どのくらい打つのかな」
「棋力ですか、それは全くわかりません」
「それなら、9子局で打ってみようか」といわれ
「はいわかりました」と対局を始めた。
「9つも石を置いて打て、俺を甘くみるなよ」という気持ちで立ち向かったが、勝負の結果は散々であった。そう思ったのは、そのころ、大学の友達の中に、囲碁を知っている奴が一人いて、その者と時々碁を打って遊んでいたし、その相手より私の方が強かったからである。
「参りました。僕の負けです」
「君は、定石を知らないようだね。」
席主はそういいながら、おもむろに石を並べ出して、
「これがツケノビ定石。これぐらいは勉強しておきなさい」といわれた。
今から思えば、その頃の自分の棋力は10級程度だったと思う。でも「死活」「詰碁」「よせ」「手筋」などという囲碁用語さえ知らず、知っていた言葉というと「鶴のすごもり」と「打ってがえし」の2つのかっこいい手筋の言葉であった。