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<講座>
企業経営と囲碁に共通する戦略性

(The concept of strategic thinking of “Go Game” and Corporate Management on common ground)

羽衣国際大学・産業社会学部教授 足立敏夫

<目次>

  1. はじめに
  2. 囲碁の“史実”の検証
  3. 囲碁の戦略性
  4. 経営と囲碁の戦略性の共通点
  5. おわりに

1.はじめに

企業経営と囲碁には、それらを貫く一本の共通軸が見える。それは“戦略性”である。さらに、具体的な企業間競争の事例を観ていると、そこには“正しい戦略”、“間違った戦略”が存在することに気付く。ここで言う“正しい戦略”とは、広く社会の支持を得て、受け入れられるものであり、“間違った戦略“とは、その戦略的意図はともかく、結果として社会から非難を浴びたり、拒絶されるものである。企業経営者の責務は、”正しい戦略“を選択し、実行に移し、計画した成果を挙げることである。

しかし、最近の競争市場のあらゆる領域において、企業が選択した戦略、そしてその実行手法を見ていると、明らかに社会になじまない“間違った戦略”の横行が目立つ。こうした“間違った戦略”をもとに競争に突入している企業は、社会から制裁を受け、いずれ市場から退場する運命を辿るであろう。

一方で、正しい(即ち、社会から歓迎される)企業理念・哲学・価値観・ビジョンを基盤とする戦略を社内外に明示し、それらを実直に実行し、計画し、社内外に明示した成果を出している企業は、所謂“エクセレント・カンパニー”として社会から高く評価され、持続的な発展が約束されるであろう。

本講では、数千年の歴史を誇る囲碁の戦略性に着目し、企業経営との共通性について考えて見たい。本来、その囲碁と現代の企業経営を繋ぐ役目を果たしてきている“兵法”、特に孫子の存在をおいて戦略は語れないが、本講では、その関係は当然のこととして、あまり明示的に強調しないことをお断りしておきたい。

2.囲碁の“史実”の検証

中国国家図書館・珍本書庫にただ一揃いだけ秘蔵される世界最古の棋書に『忘憂清楽集』(11世紀の宋代に成書となる)がある。本書の巻頭の「棋経」(囲碁のバイブルとされる)に、「孫子の兵法」十三篇にならって、囲碁哲学が論じられている。

本書が書かれた宋代(幽玄・深遠なる物を好み、学問・思想では,宇宙の原理と人間の本性を追求する朱子学も誕生した時代)は、囲碁の起源とされる紀元前2,000年〜1,500年頃から既に2,500年余の時を刻んでいるにも拘らず、その隔たりを感じないのが不思議である。
ただ、囲碁が発祥したとされる時代から春秋戦国時代(紀元前770〜221)までのおよそ1,000年の期間は、囲碁史の上では“ナゾの時代”である。

後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180〜280頃)の興亡史「三国志」に、“孔明、囲碁の名手 費褘(ひい)に後事を託す。・・・・遺言どおり、孔明の後を蒋琬(しょうえん)が後を継いだ。若くして孔明の推薦を受けた費褘は、囲碁が好きだったことでも正史に名を止めている。孔明が碁を打ったかどうかは分からないが、孔明は天文、易に通じていたから碁にも関心はあったし、自分の後を託すのだから、費褘が、囲碁の名手であったことはもちろん知っていたに違いない。・・・・“(6)。また、それ以外にも、三国志には、費褘の囲碁にまつわる武勇伝が記録されている。

西晋(265年〜316年)の張華が著した「博物誌」の中に、堯・舜(堯と舜は、中国の神話に登場する君主で、儒家により神聖視され聖人と崇められた)が、その子供たちの教育ツールとして囲碁を用いたとあるが、これも記録が残されているわけではなく、“ナゾの時代”の伝説に過ぎない。この“ナゾの時代“を経て春秋戦国時代に入ってからは、恰も突如暗闇から開放されたように、囲碁に関する”史実“として多くのことが次々と明らかになっている。

孔子(紀元前551年〜479年)の「論語」もその一つである。その陽貨篇(二十二)に、“飽食終日、心を用ちうる所無きは難いかな、博弈(ばくえき)なる者有らずや。これを為すは猶お巳(や)むに賢(ま)されり(一日中、おなか一杯食べて、何事にも頭を使わないでいるのは難しいことである。それなら双六や碁をしている方がましだ)”(6)と説いている。

しかし、この言葉から察するに、孔子自身、如何ほど囲碁なるものを知っていたか、ましてやその深淵なる哲学まで本当に理解していたかどうか甚だ疑問が残る。ただ、孔子の時代に既に、囲碁が文化としてある程度の地位を得ていたことは明らかであろう。

孔子に礼について教えを乞われた老子(この人物も、実在したかどうかも含めナゾが多い)が戒めて言ったとされる言葉、“古代の賢人は空言のみ残って骨は朽ちている。君子など時流に乗れなければあちこち転々とするだけだ。そなたの驕気と多欲、もったいぶった様子と偏った思考を取り去りなさい”が気になる。老子の慧眼を感じる。

また、桓譚(かんたん:生没年不詳の儒学者)が、中国の漢代(紀元前206〜8)に、その著「新論」の中で、“世に囲碁の遊びがあるが、これは兵法の類だとも言う。最上の打ち方は、遠くまばらに布置して取り囲み、地を得て勝つ。・・・・”と記している。この時代は、既に孫武(孫子)が、囲碁から学び、兵法書を著してから200〜300年経過していることから、桓譚が囲碁及び孫子の哲学を相当程度理解していたであろうことは想像できる。但し、孫武自身も、その活躍年代が不明で、紀元前5世紀頃とされており、史実としての詳細が不明であることは残念である。

3.囲碁の戦略性

“戦略“を必要とする状況が生まれるのは、2人以上の競争(企業間競争を含めて)やゲームの場合である。その戦略の定義を今一度確認しておきたい。世界の多くの経営学者、戦略家、ゲーム理論学者などがそれぞれ独自の立場で、多様な戦略の意味や解釈を試みている。アメリカの経営学者Mintzbergは、”すべての概念を定義づけようとするのは人間の習性である。戦略に関する標準的なテキストを見ると、必ずといって良いほど最初の章に戦略の定義が書かれている。しかし、戦略とはそう簡単に定義できるものではない。戦略とは茫漠としており、つかみ所がない“と言う。

しかし、敢えて、以下に代表的な幾つかを挙げて見る:

  1. 知的能力を備えたリーダーが、経験を通じて学ぶ実践的学習に裏打ちされた行動計画。 (古代ギリシャ)
  2. 確たる理念を持ち、組織を充実し、的確な情報収集と状況判断を行い、自軍を有利に導く工作をした上で下される意思決定。 (古代中国・孫子)
  3. 特定の目標(目的)を達成するために描かれた長期計画のことであり、戦術の上位概念。 (軍事戦略家・Carl von Clausewitz)
  4. 5つの競争圧力{即ち、同産業内の競争相手、サプライヤー、バイヤー(顧客・消費者)、新規参入者、代替技術・製品}にうまく対応し、その結果として、その企業にとって高い投資リターンを勝ち取るために、ある特定の業界における攻撃的或いは防衛的な地位を確立すること。 (Michael E. Porter)
  5. “いかに競争するか”に関して、一企業が持つ理論。 (Jay B. Barney)
  6. “戦略は計画されるもの”という常識は、環境が変化しないことを前提としている。戦略は偶然に発見されたり、あるいは自然発生的に創発したり、また環境によって転換を迫られる時がある。 (Henry Mintzberg)

上記以外にも数多くの定義づけがなされているが、Mintzbergも言うように、それぞれの立場・状況に応じた戦略解釈であり、おそらく100人に聞けば100通りの解釈・定義が帰ってくるであろう。ここで敢えて定義の羅列を行ったのは、ある共通点が見えるからである。即ち、如何なる“競争(企業間であれ、ゲームであれ)”においても、スマートに勝利を呼び込むための基本的な考え方である。

囲碁は、他のゲーム(チェス・将棋)に比べ“変化数”が格段に多い。碁盤上の19路×19路=361の交点に白石と黒石を交互に置き合い、2人で陣地獲得を争う変化数は、10の300階乗と計算したドイツ人(Victor Allis)がいる(但し、一ゲーム平均150手で終了と仮定)(13)。この変化数は、想像を絶するとてつもない数であるが、因みに全宇宙に存在する素粒子の数が10の80階乗と計算されているが、それと比較すると囲碁の可能性の大きさは計り知れない数字である。この変化数は、現在の最先端コンピューター科学を以ってしても扱いきれない。また、現在の最も優れた囲碁ソフトで、囲碁の実力レベルでアマチュア10級〜5級程度までは可能と言われるが、有段者レベルに達するには程遠い。変化数だけを取って見ても、人間の叡智が及ばない神の領域にある。それでも我々人間は、囲碁思考過程の理論的解明と言う不可能性に向かって永遠に挑戦し続けるのかも知れない。 第二のアインシュタインが出現するまで。

天艸義照氏がその著書『囲碁のある豊かな人生』(3)の中で、“・・・・囲碁は真善美を追及する人間活動である。囲碁は、哲学を持ち、戦略性を持ち、芸術性も持つ、まさに人間活動そのものである。・・・・囲碁の本質は、調和と秩序にありとも言う。そして、大胆にして細心、細心にして大胆、その両極端を相備え、大をとり、小を捨て、先後、緩急を誤ることなく、常に大局を達観し、万事において、最悪の場合を忘れることなく、その時、その場において、最高、最善の手を打つこと肝要なり。一局の碁は、人生そのものである。序盤は、人生の青春時代、夢あり、希望がある。中盤は、人生の実年時代、波乱万丈、生成発展、創造の時代でもある。終盤は、人生の熟年時代、収穫の時代、実りの時代でもある。囲碁の中には、無限の人生訓がある。急がず、騒がず、正々堂々と打つこと。自分だけが得をしょうという、独善流、貪りの心をもたないこと。耐え忍ぶことが、負けない碁である。感情的になることは、相手に利することである。打ち過ぎて、負けることを知ること。・・・・“と解説している。

囲碁の哲学と戦略性を見事に描写している。大局(ビジョン)を常に念頭に置き、局地戦においては最善手を選択しながらも、“打ち手”としての価値観、人生観に照らしつつ“着手”する。まさに、囲碁の戦略性の象徴的表現であり、現代の経営戦略の“あるべき姿”と完璧に重なると思う。

人間には多くの種類の知的能力があるが、囲碁を打つことで発達すると考えられる能力は論理的能力、パターン認識能力である。論理的能力がデジタル的能力であるとすれば、パターン認識能力は言わばアナログ的な能力であり、加えて、判断力,想像力、創造力、構想力、戦略的思考力、自己制御能力などを統括する“右脳力”とも言える。(4、16)

“囲碁を打つ“ことは結局、”右脳“と”左脳“をフルに働かせて、”総合力“を高める極めて有効な手段である。 囲碁を打つ、ということは結局、論理的能力、パターン認識能力をフルに働かせて、その上で総合的判断基準を働かせる、という行為。上級者は特定の具体的なパターン知識を沢山持っている(4,16)    

4.経営戦略と囲碁戦略の共通性

アメリカのFrancis Touazi及びCécile Gevreyは、フランスのコンサルタント・グループと共同で、囲碁の戦略性と経営との共通性の実態解明に取組んでいる。彼らは、この研究を通じて、囲碁の単なる勝敗を決する論理過程を超越し、“勝者・敗者の共存”と言う新たな視点で捉えた囲碁の持つ価値(哲学)の追求に加え、ビジネス社会、世界のリーダーたちの行動分析までも試みている。

そして、この研究の成果として、囲碁ゲームが内包する“戦略的思考”に関し7つの基本原則を見出しているが、その内、筆者が共感した知見に筆者自身の考えを加筆して紹介したい。

本項では、アメリカとフランスの研究グループのレポートに出会い、小生の普段の思いにあまりに近いので、その紹介を試みたが、見知らぬ、意気投合した紙面上で遭遇したことに感謝したい。

彼らの研究が暗示する中で、特に興味を惹いた点は、囲碁と言うゲームの底流にあるのは哲学であり、理念であること。即ち、“共生或いは共存”と言うことを念頭にゲームを楽しむことである。単に勝敗のためのゲームは本来の囲碁精神に悖る。企業経営においても同様であるべきと考える。世界のエクセレント・カンパニー或いはビジョナリー・カンパニーを指揮するリーダーたちはその実践家である。(参考図: 経営戦略と囲碁ゲームの関係概念図)

5.おわりに

世界の推定囲碁人口はおよそ3,500万人と言われている。その内、日本が占める割合は、僅か15%に過ぎない。単純なことほど奥が深いと言われるが、囲碁もその仲間の1つであろうと思う。残念な事実として、日本の囲碁人口は、過去最盛期(50〜60年位前)には一千万であったとされるが、現在は半減している。戦後の若者たちの価値観が多様化し、人生を楽しむ選択肢も増えたことが主たる原因であろうが、企業経営者層の囲碁人口も激減しているのではとの見方もあり、日本の将来に一抹の不安を覚える。

私事で恐縮だが、飽きっぽい性格の筆者にとって、数十年もの長きにわたり囲碁への熱い思いを持ち続けてこれたのが不思議である。おそらく、10の300階乗と言う無限の可能性とその哲学に魅せられたのであろう。楽しみ半分、苦しみ半分の囲碁人生ではあったが、最近特に、“良い碁”を打ちたいと言う気持ちが強くなっている。“良い碁”とは、勝っても、負けても清々しい“共生(半目勝負)”の気持ちで終局したい(そして、その結果として勝ちたい)と言う意味である。

参考文献・資料

  1. 宇野精一(翻訳)、呉清源(解説)『忘憂清楽集(日本語版)』 講談社
  2. 橋本宇太郎(解説)『玄玄碁経』 山海堂
  3. 天艸義照著 『囲碁のある豊かな人生』 砧書房
  4. 斉藤 康己 『論文:囲碁の認知科学的研究』
  5. 馬暁春『囲碁 孫子の兵法』 誠文堂新光社
  6. 白川正芳 『囲碁の源流を訪ねて』 日本棋院
  7. Michael E. Porter 『Competitive Strategy』 The Free Press
  8. Jay B. Barney(著)、岡田正大(訳) 『企業戦略論』 ダイヤモンド社
  9. Henry Mintzberg(原著)、Joseph Lampel(原著)、Bruce Ahlstrand(原著)、斎藤嘉則(翻訳)、奥沢朋美(翻訳),木村充(翻訳),山口あけも(翻訳) 『戦略サファリ』(STRATEGY SAFARI:A GUIDE TOUR THROUGHTHE WILDS OF STRATEGIC MANAGEMENT)』 東洋経済新報社
  10. Francis Touazi, Cecile Gevrey 『Management d'Entreprise et Stratégie du Go,』(1994)
  11. Scott Booman 『A Protracted Game:a wei-ch’i interpretation of maoist revolutionary strategy,』(1969)
  12. 足立敏夫 『講座・戦略的経営』 「産業・社会・人間(No.2)」 産業社会学会誌(羽衣国際大学)
  13. 足立敏夫 『“囲碁”から兵法そして経営戦略への進化過程に関する考察(その1)』 「産業・社会・人間(No.3)」 産業社会学会誌(羽衣国際大学)
  14. 足立敏夫 『“囲碁”から兵法そして経営戦略への進化過程に関する考察(その2)』 「産業・社会・人間(No.4)」 産業社会学会誌(羽衣国際大学)
  15. 足立敏夫 『第3千年期における企業経営の“あるべき姿”を求めて』 「産業・社会・人(No.5)」 産業社会学会誌(羽衣国際大学)
  16. 武川善太氏講演会資料(ブログから一部引用)

<出典:羽衣国際大学 産業社会学会誌(産業・社会・人間)、No.5>