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<研究ノート>
“囲碁”から兵法そして経営戦略への進化過程に関する考察(その3)
(A study on the descent with modification from the Game of Go to war strategies, and further to corporate management strategies – Part V)

羽衣国際大学・産業社会学部教授 足立敏夫

目次:

  1. はじめに
  2. 囲碁に見られる“戦略的思考”は古代世界にその端を発している
  3. 分化と進化を続ける囲碁のDNA
  4. 経営哲学・戦略の“あるべき姿”に継承されるべき囲碁のDNA
  5. おわりに

<Summary>

The Game of “GO” is well known to give strategic as well as philosophical insight to the players, not just as a simple board game for fun, and also known to have achieved the descent with modification in the course of the past several millennia, having exerted important effects, to a paramount extent, on strategic thoughts in wide spectrum of different fields from GO game itself to war strategies and even to modern corporate management philosophies beyond geographical, cultural as well as religious borders. Though this board game is still legendary to have been born some 3-4 millennia ago either in the ancient China or in other regions such as the ancient Africa or Middle East, it still leaves some enigmatic aspects in terms of exactly when and how it was originated and has achieved the descent with modification from the ancient times through the present age.

T はじめに

本稿シリーズ“その1”と“その2”では、(@)囲碁の起源とされる紀元前10〜15世紀頃の古代中国における占星術の誕生、それがやがて囲碁という遊び(ゲーム)に変化し、長い沈黙期を経て、(A)春秋戦国時代{紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が再び中国を統一するまでの動乱の時代}までに、現代囲碁の原型が形成された経緯。さらには、(B)囲碁の持つ論理性・戦略性と数学的無限の可能性からくる神秘性、また、(C)その囲碁の持つ固有の思考過程が、同じ春秋戦国時代の武将や戦略家により、戦争理論{兵法=武経七書(孫子、呉子、尉繚子、六韜、三略、司馬法、李衛公問対)など}に応用され、進化した歴史。そして、(D)囲碁と戦争理論がそれぞれの発達段階において相互に影響し合ったと思われる所以、また、(E)その後さらに二千数百年もの時間をかけて、現代の企業経営を含むあらゆる領域に、広く、深く、囲碁の特性が根付き、新たな芽をふくらませた推移などを概観した。

今回のシリーズ“その3”では、前回、中国囲碁史における“ナゾの時代”(紀元前5世紀以前)、即ち、伝説となっている囲碁発生期(紀元前15〜10世紀)、及びそれ以前の古代中国、そしてそれ以外の古代他地域における戦略的思考の形成やゲームとしての囲碁の発祥に繋がると思われる痕跡を追って見る。例えば、古代中国・国家の発祥(紀元前30世紀頃)以前に、他地域において既に存在したとされる“占いからゲーム”への進化の歴史に関する数少ない資料や研究者の推論を検証する。

そして、その後数千年をかけて進化し、現代の“囲碁哲学”や“戦略的思考”に如何にして影響を与えて来たかを考察する。さらに、囲碁から生まれた思考過程が、他の領域、例えば、戦さの勝ち方(戦争理論)、或いは企業間競争戦略などに分化・発達したが、それが今後どのような方向に向かって行くのだろうかについても推論を試みる。

U 囲碁に見られる“戦略的思考”は古代世界にその端を発している

オランダの哲学者Wim van Bingsbergen(Erasmus University Rotterdam)(1)は、人類の思考パターンが、新石器時代(およそ紀元前8,000年以降数千年の期間を指し、自給自足の生活へと変わっていった時期で、日本では縄文時代がほぼこの時期)に革命的に変わったと指摘する(このことを称して「新石器革命」と呼ぶ人もいる)。その根拠として、10数万年前に人類(ホモ・サピエンス)が誕生して新石器時代に至る10万年以上もの間、人間の思考パターンは、いわば刹那的、動物的、反応的なものであった。例えば、食糧確保の手段として、“採取” と“狩猟”に依存する以外に知恵が無かった時代である。

それは、属人的能力(主として、勘、運、体力など)に依存し、或いは環境条件(気象、地理など)に大きく左右される手段であり、極めて不安定で、不確実で、リスクを伴う食料の調達方法である。居住に関しても、季節ごとに食料確保に適し、その間安心して生活できる場所を求めて転々と移動していた。

このような短期的思考パターンが、徐々に、衣・食・住の“安定的”確保を求めると云う欲求に変わり、それはやがて、今直面する問題解決の方策を考えると云う短期的発想レベルから、より長期的に考える習慣(=戦略的思考)が芽生え始めたのが新石器時代とされる。例えば、食糧確保の手段を、採取から“農耕“(西アジアの複数箇所で麦を作り始めたことが、遺跡調査で明らかにされている)へ、狩猟から“牧畜” (山羊と羊類の牧畜も確認されている)へ、また、居住についても、年間を通して一定の場所での”定住“を望むように次第に進化して行ったと考えられる。そして、定住を可能にする暮らしの知恵も徐々に生まれ、蓄積されて行ったのであろう。”家族“と言う形態・概念が形成されたのもこの時期である。時間や空間、そして生活の概念を革命的に変えた時代である。

このような変革と知恵の発達を加速させた圧力要因の1つとして、人口の増大が考えられないだろうか。即ち、それまで分散していた人口が、徐々に農耕、牧畜に適した地域へ集約化(定着・定住化)が始まり、この人口集約化は、ハード(人の物理的集約)とソフト(知的集約)の両面の複雑な化学反応(相乗効果)によって飛躍的変化を齎したと考えられる。人口増以外にも様々な理由があろうが、集団の最小単位である“家族”の子孫繁栄本能や団結力に加えて、勢力拡大志向、そして、家族の集合体としての部族などが、より大きな集合体を目指す拡大志向にドライブをかけて行ったと推測できる。

紀元前8,000〜9,000年頃の世界人口は僅か数百万人と推定されているが、その後紀元前2,500年頃までにおよそ1億人にまで膨れ上がったとされる。この人口増と集約化は、新たな問題を生み、同時にそれらを解決するための総合的知力の発達を促したと考えられる。農耕や牧畜への転換を果たしても、気象変動、自然災害、或いは、野生動物による被害などは、依然人の生命や財産を脅かす要因には変わりなく、それらに対する防護策の新たな知恵を必要とした。

例えば、自然災害から農作物を守る方策として、田畑を“格子状”の土盛りで囲い、それに水を満たした水量を調整することによる防護策の存在が遺跡の発掘調査で確認されている。或いは、野生動物から牧畜を護るために柵をすると言う知恵の存在も確認されている。しかし、それでも当時の人智で解決するには限界があり、人智を超越する何か、例えば、祈りや信仰に頼っていた時期もあるが、やがて、天地自然や自らの運勢、将来を“占い”によって積極的に予測し、物事を“計画”する知恵が生まれたのも当然の結果である。

こうした変化は、部族間対立(自族の利害保護のための争い)などをも誘発し、比較的大規模な競争や争いの“仕方”を考えると云う戦略的思考パターンを生んだことも容易に想像できる。この競争戦略の概念に通じる“計画性”が徐々に形成されて行ったことを裏付けるものが、幾つかの遺跡で発見されている。例えば、古代アフリカ、中近東地域などに発祥し、爾来、進化しつつ伝承されてきた “マンカラ(mancala=ボード・ゲームの総称)”の存在が確認されたのもその1つである。マンカラは、四角い盤(ボード)を使ったある種の狩猟ゲームである(注1)。そして、それはやがて、囲碁の原型に繋がったのであろうと推測する研究者がいる一方で、その延長線上の発達とは考えず、マンカラ誕生に遅れることおよそ2,000年を経てから古代中国において独自に発祥し、進化を遂げたとする説もある。マンカラと囲碁の原型発祥の時期に関しては不詳な点が多い。(次の第3項でも述べる)

ボード・ゲームは、農耕の発達過程において、時の統治者の威厳の象徴としての領地拡大を目指す戦略的勢力拡大思想を生んだとする見方もある。その経緯に関しては、後世の様々な賢人たちによって、遺跡の発掘された様々な“文字による記録”(注2)の解読・解釈などがなされている。

さらには、このようなゲーム自体の進化過程において、人の集団(部族内、部族の集合体など)の政治的統治のあり方にまで影響が及んだのではと主張する人もいる。即ち、それまでの部族或いは部族集合体の内部統治に止まっていたものが、個々の部族やその集合体を超えて、横断的に統治(=中央集権的管理)する拡大管理体制の必要性が嵩まったと考えられる。

先述したように、それが時間の管理(計画性)や自らの将来予測を暦や占い、そして、文字を使って記録することを学び、それはやがて、物事を大局的、長期的に見る“戦略的思考パターン”に繋がったのではと考えられる。

アメリカの経営学者Henry Mintzberg(2)は、“戦略形成は人間の認知および社会的プロセスの中で、最も洗練され、微妙で、時には無意識な部分までも含む非常に複雑なプロセスである。そのプロセスにはあらゆる情報のインプットがあり、その多くは量で測ることはできない。それは、特定の有能な戦略家のみが理解出来るものであり、そのようなプロセスは、予め決められた工程に沿って進行するのでもなければ、定められた道筋をたどるのでもない”と主張する。

筆者にとって、興味深く、驚きを禁じ得ないのは、概して左脳支配型(論理的・顕在意識的思考と筆者が偏見している)とされるアメリカの経営学者が、極めて右脳型(直感・ひらめき・無意識主導)の戦略発想を分析していることである。
人類の思考パターンは、民族の壁や左脳・右脳の壁を超えて、未だ進化を続けている証であるのかも知れない。

V 分化と進化を続ける囲碁のDNA

前項でも触れたように、囲碁は古代中国で独自に誕生したとする論者は、天地自然を“占う”道具から、“聖技{=四芸(琴棋書画):君子に必須のたしなみ}”や“玄技(奥深い、プロの技術)”へと進化し、さらに“戦技・遊技”へと応用されて行ったとする。その後、囲碁は、さらに千数百年をかけて春秋戦国時代に至り、漸く現代碁に通じる基本的骨格が完成されたと考える。この時期には、既に“兵法(=戦争理論)”への分化を含め、現代のあらゆる領域に応用可能な基本理念にまで進化を遂げたことには疑う余地は無い。その代表格が“孫子の兵法”である(後述)。

現代の天才プロ棋士・呉清源氏(中国福建省出身)は、10年ほど前に、全く新しい囲碁哲学「二十一世紀の碁」を提唱している。それは、「六合(りくごう)の碁」(六合は、古代中国の言葉で天地と東西南北を表す)とも呼ばれている。即ち、囲碁は、盤上において六合の調和を目指すべきとして、陰陽思想を取り入れ、“碁盤全体を見て打つ”ことを目指す。呉清源氏は、それまでの発想に無かった、一手目から既に盤面全体を立体的に眺めて、主体性を持って調和させるべく工夫する打ち方を示している(以上は、水口藤雄氏著『呉清源 碁の宇宙、真髄は調和にあり』から引用)。この境地を真に理解し、実践するには、プロ級の棋力に加えて、並外れた感性が必要である。

囲碁には“半目勝負”と呼ぶ状況がしばしば起こる。勝敗(白と黒それぞれが占める盤上の“地“の大きさ)が拮抗した戦況を表す。即ち、互戦(たがいせん:白・黒の力量が同格の場合の手合い)ルールで、盤上の白・黒の地合(じあい:領地)が全く同等であっても、先攻する黒が有利である為、現代ではルール上、白に“6目半“のコミ{ハンディキャップ(経験則から決められた、非整数の約束事)}を設定することによって力のバランスを調整する知恵である。従って、ゲームの終了時に、盤上の白・黒の地合いが同じ場合、コミによって、白が“6目半”の勝ちとなる。また、ゲーム終了時の黒地が白より6目多くても、コミを引くことによって“半目負け”となる。出来る限り公正な勝ち負けの判定ができるように、実戦の経験則から編み出されたものである。 公式試合などでの“引き分け”を避け、所謂“白黒をつけざるを得ない”理由もあるのであろうが、筆者個人としては引き分け(共生)があっても可とする意見である。

また、“中押し勝ち”と言うゲーム決着の仕方がある。つまり、白、黒のいずれかが、自らの戦況を判断し、ゲームを最後まで続けても勝つ可能性はないと判断した場合、相手に敬意の念(“参りました”と言うメッセージ)を伝え、敗北を宣言することを認めるルールである。こうした大差の結果のケースはさて置き、囲碁は、基本的には“半目”を争う“共生”の精神をベースにした戦いによってこそ、呉清源氏の言う“囲碁の真髄、調和”に通じるものと思う。

囲碁の道理に関して、現存する世界最古の成書『忘憂清楽集』(3)がある。これには、北宗の時代(1049〜1053年)に、学士張擬(天子の補佐役)が、孫子の兵法十三篇にならって、囲碁の理論を13に分けて論じた『碁経十三篇』がある。また、南宋時代(1349年)に成書となったとされるもう1つの囲碁の古典『玄玄碁経』(4)もあり、『忘憂清楽集』から200年後に成っている。これらの書はいずれも、天地陰陽動静の道理に基づく囲碁哲学を基本に置いている。

この『玄玄碁経』の序説に、古代中国の儒学の四傑の一人、虞集が、時の文宗帝に囲碁に関し問われて、“・・・・古代の聖人が碁と云うものを作られてこのかた、碁に込められた精神やその意義の深さというものは、人の世にも通用し、既にその真髄は極められたと申せましょう・・・・碁に言う布石や戦略、どう攻めどう守るかというようなことは、国が政令を施行する時機のつかみ方や軍事行動を取る場合の作戦に似ており、碁を習うということは、取りも直さず平安な世にあっても乱世に処する志を常に忘れぬ戒めともなるもの・・・・”と答えたと記している。この時代に既に、囲碁の真髄が極められたと理解している賢人がいたことに驚かされる。その後の人間の知力は6世紀余り経た現代までに如何ほど進歩しただろうか? 科学技術の飛躍的進歩程度では測り得ない人間の根本的で、総合的な思想・哲学する能力は現代の方が進んでいると果たして言えるだろうか?

囲碁の考え方に、孫子の哲学が逆に影響を与えたとされているが、孫子は、それ以前(紀元前500年頃の春秋戦国時代以前)の囲碁哲学から多くを学んだことも明らかであり、どちらが先に、より支配的な貢献をしたか云々を論ずるより、相互にどう影響を与え合い、どう切磋琢磨しつつ、現代の経営哲学にまで脈々と分化・進化してきたかに思いを馳せる方が建設的であり、興味深い。

さて、ここで囲碁の共生(調和)の哲学を実践するために、ゲームだけでなく、戦さや企業競争など全ての戦いに通じる“戦略”(即ち、如何にして有利な戦いを行うか)についても少し触れておきたい。戦略とは、如何なる戦況下にあっても、それに対応するための一連の行動パッケージ(=戦略概念)を意味する。この行動パッケージは、競争者の盤上における着手を決定するプロセスであり、この行動パッケージが、戦いの場における“動き”(局所的視点からの“次の一手”)と混同されて理解されている場合がある。つまり、この“動き”とは、あくまでゲームの中で遭遇する“急場=難局”をしのぐために咄嗟に、そして反応的に取る戦術的対応である。一方”戦略“は、ゲームにおける問題解決のための段階的手順の全体を意味する。即ち、ゲーム全体の調和を図りつつ、如何なる状況下においても、自らの動き(次の一手)とそれに対する対局相手の必然的対応、そして、さらなる自らの必然の着手を次々と読み取ることを意味する。

囲碁の哲学、即ち、“共生”と“調和”を求めると言うDNAは、囲碁発祥から今日に至る数千年の時間経過の過程で、ゲームそのものとしての発達、戦争理論への分化と進化、そして企業経営のあり方(企業戦略)にも反映され、進化を遂げてきたものであろう。それ以外の多くの領域においても同様な経緯を辿ったことを伺わせる兆候にしばしば遭遇する。

W 経営哲学・戦略の“あるべき姿”に継承されるべき囲碁のDNA

産業社会学者・梅澤正氏(5)は指摘する。現代企業(日・欧・米を問わず)の最近の特質として、ビジョンや戦略重視に偏った経営、そして、短期的経済価値追求の経営姿勢が、より高位の概念(=普遍的価値)であるべき“経営理念”を軽視(乃至は空念仏化)する傾向にある。そのことが、最近、枚挙に遑(いとま)がないほど多発する企業不祥事(経営の醜さ)の根源的理由になっているとする。筆者自身もこのことを実感している。自ら企業経営(外資系企業)に関わった実践家の端くれとして、自省を込めて気になる点である。

欧米企業は、“合理性”と“経済価値”を徹底追求する経営姿勢の結果、社員を単なる経営資源の1つとしか見ないで、先の2つの目的を達成するためには手段を選ばず、平気で社員を大量虐殺しているように見える。そうした光景を、筆者自身目の当たりにし、企業の存在意義とは何だろうかと自問自答を繰り返し、悩み続けた。株主を最上位にランクさせている彼らの株主優先の経営姿勢は、当然と言えば当然である。その結果次第によって、株主から喝采を浴びたり、恫喝されたりもする。そして、それが企業の活力の源泉ともなっている。

一方、“人”を中心に置くとされて来た日本の伝統的経営姿勢が、欧米のそれとしばしば対比される。最近では、短期的経済価値を過剰に追う余り、制度疲労を起していると錯覚されている終身雇用制度をはじめとする日本の総合的人事制度が、いとも簡単に覆えされるのは残念なことである。“武士は食わねど高楊枝”の精神論のみで、企業の存続は困難であることも理解できるが、囲碁の真髄から学んだ“六合の調和”、即ち、企業で言えば、社会、自然環境の中で業を営む上で、短期的視点と長期的視点の“調和”の追及を常に座右に置くことを忘れてはならないとつくづく思う。

企業を訪問し、応接室に通されるとすぐに目に飛び込むのが、立派な額に入れられた“わが社の経営理念”、“わが社の創業の精神”と言ったスローガン。そのこと自体は決して間違っていないが、問題は、殆どの社員がそれを全く意識せず(存在すら知らないことさえある)、トップのみの自己満足型“座右の銘”に止まり、形骸化していることである。企業としての理念・哲学は、組織内のあらゆる層に、金太郎飴の如く徹底して根付き、完璧に融合していなければ意味をなさない。同時に、経営トップは、自社のステークホルダー(利害関係者)にも十分な説明をし、理解と同意を求める不断の努力を怠ってはならない。

経営の真髄は、普遍的価値(企業理念と存在意義)の追求と経済価値のバランスを如何に取るかであり、経営の舵取りの基本的スタンスであるべきと考える。このバランス経営の結果として、その企業は社会に容け入れられ、自社の持続的発展が可能となる。

ここで、欧米企業の名誉のために、幾つかの模範とすべき事例を紹介する。

鉄鋼王・Andrew Carnegie(6)は、“人生の前半50年を金儲けに費やし、残りの30年でその富を社会に還元することに専心した“と評される経営者である。彼が全精力を傾けたフィランソロピー(篤志活動)の根底には、社会そのものから貧困をなくしたいという、幼時体験に根ざした悲願がこめられていたとされる。Carnegieは富豪たちを相手に、”金持ちが財産を抱えたまま墓場へ行くことほど不名誉なことはない“と、折に触れて説いて回ったことにその真剣さが見える。また、創業間もない時期に、企業存亡の危機に立ち至った際、債権者を前にして宣言したと言われる、彼の経営哲学を象徴する伝説的逸話がある。Carnegieは、”工場も、設備も全て差し上げる。しかし、社員だけは持って行かないでくれ“と懇願したというものだ。多少の誇張があるとはいえ、彼らしい言葉だ。

“会社は誰のもの?“と言う基本的疑問に対しCarnegiebが代弁する、経営者として忘れてはならない基本姿勢・信念とは、まさに”共生”と“調和”の精神であろう。

 また、別の事例とし引用したいアメリカの企業人がいる。IBM創業者一族で、名経営者と称されるThomas J. Watson, Jr. (7)である。 彼は、IBM の経営理念を次の3つの概念から構成し、今でも活かされている:

  1. “個人の尊重“。即ち、社員の個性を尊重することで、経営理念の中でも最上位にランクされている。これは、社員が創造する商品やサービスから全てが始まるからである。
  2. “顧客への最善のサービス“。これは、顧客が感動し、感激し、感謝するサービスを目指したメッセージ。
  3. “完全性の追求”。即ち、仕事は手を抜かず、常に完璧なアウトプットを求めて行動する。

この3つの基本的な経営理念には、所謂“ステークホルダーとの”共生“と”調和“を目指す意思が明確に込められている。

アメリカの優れた経営者にも、まさに囲碁哲学のDNAが継承され、立派に進化した価値観となっていることを示していることも忘れてはならない。

一般的な理解として、欧米型経営は“経済価値”追求を偏重していると批判されるが、上述の2例からも伺えるように、全ての欧米経営者がそうでないように、最近の日本にも、同様な傾向が見られる。一部の短期的成功者が誇張・喧伝され、それに理性を欠いて追随すること自体に問題がある。それぞれの国・地域の歴史、伝統に根ざした価値観に立脚し、他国における成功から学び、自国・地域独自の価値基準に照らして、主体性を持って自らの行くべき方向を決めて行くことが求められる時代である。

5. おわりに: 経営哲学はどこまで進化を続けるのか?

平成18年9月26日付け日経新聞コラム『大機・小機』に、“ボーダレス経営の幻想”と題する主張を読んだ。 それは、グローバル市場経済の環境変化を見抜けなかった金融業界と対比し、実物生産の世界の異なる状況を分析している:
「現在の日本経済の拡大の原動力の根底に、高機能材、電子部品などを核とした国際競争優位の製品群があり、その陰にある超微細加工やナノテクノロジーなど革新技術課題に真摯に取り組む技術集団の存在がある。

伝統的な労使の信頼関係を保ち、従来の雇用慣行の精神を尊重することが、重要技術の累積を可能にし、ユーザーの要望に沿った擦り合わせ型加工・組み立て製品を生み出す原動力になった。・・・・東アジア諸国との国際分業の新しい方途を探り、各産業・企業が独自の生産方式を求めた成果が実った・・・・現代の加工貿易財は、それぞれの国、企業の文化が反映されてこそ世界に通用する商品が生み出される・・・・。」とある。

この論説でも、企業のグローバル・ビジネスの方向性として、まさに国境を超えた“調和”と“共生”の精神の重要性を訴えている。

下図は、ある世界のエクセレント・カンパニー(アメリカのFortune誌が毎年発表する500社で50位以内に入る常連企業)の理念・ミションを図示したものである。

この企業は、自らが負うべき3つの責任(経済的責任、社会的責任、環境に対する責任)を明示し、それらは独立した責任ではなく、その何れをも欠かすことなく、それらの“調和“と”共生“を目指すことによって、社会に受け入れられ、持続的成長を達成するとしている。

この理念・ミションを達成するためには、それを可能にする戦略が必要となる。それこそ、孫子の兵法に分化し、進化した囲碁のDNAがまさにこうした形で開花することを支援しているものと信ずる。

図: 共生と調和の企業経営理念の事例

<原則>

  1. 3つの責任(経済的、社会的、環境に対する責任)のどれ1つをも犠牲にしてはならない。
  2. 3つの責任の“調和”を図り、利害関係者との“共生”を追及する。

                                              

<以上>


<注>

  1. 大阪商業大学アミューズメント産業研究所『囲碁とその仲間たち展(第5回特別展示)』:
    アフリカ、中近東、東南アジアにかけて古くから遊ばれている、伝統的なボード・ゲーム。紀元前15世紀頃の古代エジプトの首都メンフィスでその原型となる遊戯の跡があるとされる。
    マンカラに使われるボードは横長で、たこ焼きの道具に似た形をしており、8〜10個ほどの丸い穴(くぼみ)が二〜四列に並んだ形になっている。このボードに、石、木の実、子安貝などを入れてゲームを行う。
  2. 甲骨文字:
    亀甲、獣骨に刻まれた文字。中国殷代の占いの記録で、漢字の最古の形を示す。19世紀末に存在が知られ、20世紀に殷墟から多数出土し、それとともに解読、整理が進んで殷代史研究の重要な資料となっている。(出典:『日本国語辞典』 小学館)
    しかし、2000年4月22日付の中国「人民日報海外版」(以下に原文を引用)が報じるところによると、中国考古学者によって、中国ではおよそ5,000年前に既に文字(陶器上に記されている)が使用されていたことを認定した。この発見により、中国の文字発祥の歴史は約2,000年遡ることになる。

    原文《人民日报海外版》 (2000年04月22日第一版):
    (http://www.people.com.cn/GB/paper39/454/45983.html)

 

<参考文献・資料>

  1. Wim M.J. van Bingsbergen(著) 『Religious change in Zambia』 Kegan Paul International
  2. Henry Mintzberg(原著)、Joseph Lampel(原著)、Bruce Ahlstrand(原著)、斎藤嘉則
    (翻訳)、奥沢朋美 (翻訳),木村充 (翻訳),山口あけも(翻訳) 『戦略サファリ』(STRATEGY SAFARI:A GUIDE TOUR THROUGHTHE WILDS OF STRATEGIC MANAGEMENT)』 東洋経済新報社
  3. 宇野精一(翻訳)、呉清源(解説) 『忘憂清楽集(日本語版)』 講談社
  4. 橋本宇太郎(解説) 『玄玄碁経』 山海堂
  5. 梅澤正(著) 『組織文化 経営文化 企業文化』 同文館出版
  6. アンドリュー・カーネギー(著)、田中孝顕(監訳)『富の福音(The gospel of Wealth)』 きこ書房
  7. 『Time』 (April 18, 2005) <The Time 100 (1901〜2000): Thomas Watson, Jr.>
  8. 呉清源(著) 『呉清源二十一世紀の碁』 誠文堂新光社
  9. Peter Drucker(著) 『Management Challenges for the 21st Century』 Harper Business
  10. Michael E. Porter(著) 『Competitive Strategy』 THE FREE PRESS
  11. 足立敏夫(著) 『囲碁に見る古代の知力―囲碁 梁山泊』(2004年陽春号)』 関西社会人囲碁連盟
  12. 渡辺義通(著) 『古代囲碁の世界』 三一書房
  13. 中野謙二(著) 『囲碁・中国四千年の知恵』 創土社
  14. 島村甚九郎(著) 『季刊誌・囲碁 梁山泊囲碁(誕生の謎にせまる)』 関西社会人囲碁連盟
  15. 武岡淳彦(著) 『孫子を読む』 プレジデント社
  16. 守屋淳(著) 『最強の孫子』 日本実業出版社
  17. 足立敏夫(著) 『講座・戦略的経営』 「産業・社会・人間(No.2)」 産業社会学会誌(羽衣国際大学)
  18. 足立敏夫(著) 『“囲碁”から兵法そして経営戦略への進化過程に関する考察(その1)』
    「産業・社会・人間(No.3)」 産業社会学会誌(羽衣国際大学)
  19. 足立敏夫(著) 『“囲碁”から兵法そして経営戦略への進化過程に関する考察(その2)』
    「産業・社会・人間(No.4)」 産業社会学会誌(羽衣国際大学)
  20. 足立敏夫(著) 『第3千年期における企業経営の“あるべき姿”を求めて』 
    「産業・社会・人(No.5)」 産業社会学会誌(羽衣国際大学)
  21. 足立敏夫(著) 『企業経営と囲碁に共通する戦略性』 「産業・社会・人(No.8)」 
    産業社会学会誌(羽衣国際大学)

<出典:羽衣国際大学 産業社会学会誌『産業・社会・人間』、No.11>