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囲碁に見る古代の知力

羽衣国際大学教授 足立敏夫

“碁”の語源を尋ねて漢和辞典を紐解いて見ると、紀元前500年頃の諸子百家の時代に“棊”と言う字が当てられ、“棋”とも画く。音(聲)を意味する“其”の下(または左横)に“木”を配してい る。つまり、木盤上で木の駒を使ったゲームで、木と木の打ち合う響きを表していると思われる。それが時代と共に駒の材質が“木”から“石”に代わり、聲の変化と共に文字も“棊”から“碁”へと変わって行ったようだ。そして、木陰でその聲を楽しみつつもゲームに夢中になっている人々の光景が眼に浮かぶ。少々余談であるが、棊(碁)は古くは、弈(エキ)と言うらしい。この“弈”は、“碁を打つ遊び”、または“碁を囲む”の意以外に、“美しい姿態”或いは“帳(とばり)”を意味する。さらに、囲碁の“囲”の語源を追って見ると、それはもともと、両手を広げて抱える大きさ(約1.5メートル)で、物の太さを測るのに用いられていた。先の“弈”が暗示するように、“美しい姿態を帳で囲う“と言う艶かしささえ感じさせる言葉である。ゲームの上では、2人のプレーヤーが碁盤上で白・黒の石を以って互いに勢力の張り合いをすることで、色気の無い意味となってしまう。その“囲碁”と言うゲームの生まれる以前(紀元前1000〜2000年以前)、“格子模様(古制では17道×17道であったが、唐代以降19道×19道の361交点)”を描いた木盤上を小宇宙に見立てて陰陽道などの占いが行われ、それが次第にゲームや賭博などの遊戯に変化して行ったのではとの推測は広く知られている。その占いの時代をさらに遡って見ると、紀元前5000年頃(新石器時代)中国、トルコなどで行われていた狩猟法に、占いとは別の次元で、囲碁の起源のヒントが見える。当時、狩猟を行う際、捕獲ネットを張り巡らし、動物を追い込み、囲い込み、そして動きを制約した上、猟犬に威嚇させて脅えるところをヤリで仕留めると言う知恵を用いていたようだが、この“囲いの狩猟”こそが囲碁の“囲いの戦略(敵陣を囲う)”の概念の原点に通ずる。さらに興味深いのは、食料確保の手段が狩猟から農耕に移行したこの時代、人類が歴史上初めて“時間”と“空間”の概念を理解したとも言われる。それまでは、取りあえず当座の食料を確保するための狩猟によって生を繋いでいたが、食料を計画的に調達することによって刹那的な生活行動から脱却して、生活に安定とゆとりを持つことを知った時代である。これは、当時としては革命的な変化であり、このことが人類の戦略的思考形成の礎になった。

さて、先の占いから変化したゲームや囲いの狩猟と言う戦略の原形から、さらに数100年から1,000年以上の歳月を掛けて、中国・春秋時代には、技術論はともかく、戦略的思考に関する限り、“現代囲碁”に通ずるレベルにまで完成度を高め、“哲学”として確立されたと考えても不思議ではない。

このように大きく進化した“囲碁”は、この時代の戦国武将たちの興味を惹きつけ、戦の合間の余興として彼らを夢中にさせたであろうことは想像に難くない。彼らはその遊びの中にも、武将らしい関心を持ち、囲碁の持つ高度な“戦略性”を、兵法・兵術に置き換え、血生臭い戦にまで応用して行ったのであろう。

孫子や呉氏が兵法書として成書に仕上げたのがこの時代である。それは、技術進歩と連動しつつ脈々と今日まで発達し続けて来たことになる。さらに、現代の世界の兵法学者はもとより経営学者、企業家などあらゆる分野の専門家によって研究され続けている“囲碁哲学”が、数千年の歳月をかけて進化したとは言え、不朽で普遍性のある根本思想として今日でも生き続けていることは驚きである。

孫子は言う、“啓発された支配者は、遥か将来を見据えた計略に長け、優れた将軍は、その計略を忠実に実行する。”これを企業に当て嵌めて言えば、“戦略的経営とは、先ず長期計画を練り上げ、それを実行に移すプロセスを管理することによって、持続的発展を保証することである。”

ところで、関西には、この原思想を完璧に理解し、囲碁に関し立派な世界観を持って、輝かしい業績を挙げた棋士がいた。それは、半田道玄氏である。彼は、“正しき理、広大無辺である。計り知れるものではない。最後を信じ・・・・、一心に道に努める以外はないのである。あるだけの能力をもって、出来るだけ読み、勇気と決断である。・・・利得はその結果である。・・・”との悟りを明かしているが、これこそ、先述の原思想から学んだ現代囲碁哲学の真髄であり、物事の本質であり、人生訓であり、政治家、企業経営者のあるべき姿であろう。

アメリカの著名な経営学者・マイケル・ポーターは、“競争戦略とは、競争の発生する場所において、有利な競争的地位を探すことであり、そのためには、競争相手との差別化を確立すること”と言う。差別化とは、半田氏に言わせれば、“努力・読み・勇気・決断によって他社と比べて優位性を生み出すこと”となる。そのためには、歴史に学び、将来を見据えつつ、物事の本質に立ち返り、我が行く道、そして他者との差別化をじっくり考察する能力と余裕が肝要と言うことであろう。即ち、囲碁の教える時空を超えた大局観・世界観こそが、兵法そして企業経営との接点となっている。

出典:”囲碁・梁山泊”