人類のゆくえ
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人間にはすべての政名物と同様、市が存在します。一般的な価値観として、成長は「善」、老化、滅亡は、「悪」という概念をふつうの人々は受け入れています。しかし、進化し発展していくことと、老化し衰退していくこととは、自然界をみる限りでは両方とも必要不可欠なことのように思えます。また自然界には同じ変化の繰り返しのように見える「循環」という機能もあります。循環の役割は、その生と死の機能を通じて生まれてきたものが今の世の中に必要なのか、不要なのか、生死の法則を利用し自然淘汰しているようにも見受けられます。
会社や組織は人々の生と死の循環の法則の中でも、永遠に変化し生き続けることができますが、人間には必ず死がやってきます。なぜ、人間はこの生と死の法則を受け入れなければならないのでしょうか。なぜ、人間は永遠に生きることができないのでしょうか?
人間の正体を、肉体としてみた場合、肉体の消滅はすべての終わりとなります。しかしこれには疑問があります。人間はものを作ることはできますが、未だ生命体を作ることはできません。
言い換えれば、生命体には人間が科学的に測定することのできない何かがあり、その何かを作ることができないため人間は生命体を作ることができないのだと考えられます。
それでは、この何かとはいったい何なのでしょうか?私はそれが「命」としての「魂」であると考えます。ではこの「魂」は、なぜ必要なのでしょうか?人間の管制塔として「魂」、そしてその「魂」と人間の「感情」や「意識」との間にはどんな関係があるのでしょうか?
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人生は生まれたときから不確実なものであり、不平等なものです。ある人は、豊かな家庭に生まれ、またある人は、貧しい家庭に生まれます。そして優秀な頭脳を持った天才として生まれたものもいれば、全く何の才能や特技もないものも数多くいます。これらすべての人が同じ人生の目的を持っているとは、とうてい考えられません。しかしすべての人々にとって、共通点があります。第一は、自分の能力や可能性が増えたときはうれしく、減ったときには不幸だと感じています。そして悩みを持つことを嫌い、希望を持つことを好むということです。
この悩みと希望の違いは何でしょう?どちらも精神的な思いであることには違いないのですが、悩みとは、解決できないと思える過去や現在の問題への思いであり、希望とは将来起こってほしい自分の可能性を広げる出来事への思いだと定義することができます。それは、魂の成長とどんな関係があるのでしょうか。
物事に対する意識やイメージ、また考え方の違いによって、その結果は大きく違ってくることは、よく知られている事実です。また、希望や夢がなければ、現実のものとしてはなかなか現れて来ません。偉大な発明者は発明品を作る前に、その物をイメージしていなければなりません。
つまり、意識すれば現実となる可能性が生まれるものなのです。このことが法則として成立するならば、現世に生きる私たちの「人生とは何か」を解く一つのヒントになります。仮に死後の世界には、肉体という物質的なものが何一つなく、目に見えない魂という意識の世界だけで構成されていると考えると、意識が現実となるスピードは、死後の世界の方が、この世よりは遙かに早いのではないかと想像されます。このことは、幸福なことを思えば幸福になり、不幸なことを思えば不幸になることがより現実化しやすい世界が死後の世界だということを暗示しているように思えます。
精神的な成長のスピードは、金銭的な豊かさとは無関係なことのように思えます。
どんな環境にあっても、本人が心の成長を放棄しない限り可能だということです。肉体の成長は20〜30歳を頂点として年齢とともに低下せざるを得ませんが、精神の成長は、年齢や環境に関係なく成長が可能です。つまり死ぬまで成長が期待できるということです
では、心の成長を測定できる項目をあげてみることにします。
もしあなたが、上記20の項目について、すばらしいと思えるのなら、きっと自分の満足行く人生を歩みながら心の成長を続けられる人だと思います