「3」と複雑系と進化の原理
海野和三郎老子に、「三から万物」という有名な一句がある。その前の、「道、一を生じ、一、二を生じ、二、三を生じ」という宇宙哲学的一句はもっと有名であるが、ここでは、実用的な「三から万物」を考える。老子の「道」は‘すべて’に通ずる道であるが、「三から万物」の場合、無限定でなく、具体的な限定された世界に限ることが出来る。今は、21世紀人類生存の危機に関連した「混沌」の由来とそこにひそむ「創造性」を問題にする。
実例を金融経済の危機に取ってもいいし、地球温暖化に取ってもいいが、先ず、最も簡明な算数の世界に取ると、整数pに対して、ap+bp=cp となる整数組(a,b,c)が存在するか、というフェルマー問題がある。3百数十年の間、数学者を悩ませた問題で、pが3以上では駄目という証明が得られてからまだ20年も経っていない。pが2の場合は、(3,4,5)などのピタゴラス数で、d=a+b-cを導入して、恒等式c2 –a2−b2+d2= 2(c-a)(c-b)を用いるとピタゴラス数の一般公式はd=2nABとおいて、c-b=A2, c-a=22n-1B2、から互いに素なる任意の奇数A,Bとnに対して、a,b,cは直ぐに求まる。同様なやり方で、フェルマー3や4が不能であることも2進法を用いて証明できる。また、2質点のニュートン力学、二体問題は楕円軌道の定常解ケプラー運動であるが、三体問題の一般の場合は、非定常のカオス解であることも昔から知られている。逆に、混沌を記述するには、パラドックス表現か、多元論を用いる。
人の一生より長い時間尺度の混沌系には、五行が良く用いられる、徳目については仁義禮智信、自然界には地水火風空といった具合である。揚げ足を取られないためには否定形が使いやすいが、否定形の場合は系を記述するのに、
5では不足で少なくとも10以上は必要となる。モーゼの
10戒などがその例であろう。但し、否定形でもパラドックス表現、もしくは例外を認めない「すべて」の場合は一つでもよい。また、否定は一例あれば論理として成り立つから、マスコミや政治家が悪用することが多いが、多次元の現象を1次元否定しても殆ど意味がない。否定形の多い政治論が日本の政治を駄目にしている。「私は嘘つきです」は、肯定も否定も矛盾に陥るパラドックスで、言葉での表現は一般には不完全であり、適応領域を指定する必要性があることを示している。ゲーデルの「述語論理の不完全性」の証明は、「Aという述語論理は不完全である」という述語論理をAとして、これをチューリング・マシーンという万能コンピューターにかけると、答えを出して停止することができない、というので、「嘘つきパラドックス」と同じ構造であり、面白くも何ともない。しかし、述語論理一般に対して数学的厳密さを持っているので、その証明の裏にある実例を考える必要があり、容易に多次元複雑系を少次元で捉えることの不完全さに到達する。ただし、系が安定している場合には5次元記述でいいというのが五行の意味である。
複雑系科学の由来であるとされる経済学の場合はどうであろうか。計画経済学というのがある。現代の世界経済の主軸をなしている自由資本主義金融経済の場合は、円の価値、景気、物価、株価、国債、日銀券、等々、何百何千何万の数値データとその間にある法的規制、との関係を理論的に解明し、経済予測し、次の経済発展を計画するものと思われる。この場合、論理の不完全さは問題にならないのであろうか。経済機構が安定して動いている間は、多分5つほどの基幹となる経済原理をバランス良く運転すれば大きな問題は生じないであろう。しかし、複雑系の本来の意味はカオスであり、必ずしも系が一方的な大変動を生じカタストロフィーに陥らない保証はない。アメリカ式グローバル経済の原理は、大まかに言うと、自由市場原理と金融資本であろうが、こうした2元論的理論ではカオス的変動の法則を予測する原理に欠けている。超多次元の変量間の相関を多変量主成分解析して、日本経済という複雑系の進化を予測することを政策原理として、最低限、金融政策と市場原理に加える必要がある。規制緩和すれば、市場原理が働いてすべてうまく行くというのは、エネルギー・地球環境・食糧問題に余裕のある場合のことである。無知が日本経済を危うくしている。
例を地球環境というもう一つの複雑系にとると分かりやすい。地球環境の第一のエネルギー源は太陽エネルギーで、地上では約1kW/m2、まともに受け続けると90℃を越す。太陽熱温水器でも真夏には60℃にもなるという。夜昼平均すると緯度によって異なるが、−10℃程度となる。一方、海は保温が良く、塩度勾配ソーラーポンド機構により対流による熱損失がないので、海面下100mで吸収された太陽エネルギーは熱伝導で海面に出るのに3000年もかかり、その間に、1500年の海洋大循環などで温度が平均化される。その結果、1000m以深の海水温度は3℃であるという。陸上の場合は、遙かに複雑で、地球自転による日周変化、緯度の違い、地形高度の違い、年周変化、気象変化、などがある。私達は、摂氏の温度で生活しているが、エネルギーの授受という見地で見れば、絶対温度を使う方がより正確に記述できる。それをそうしないのは、標準状態で水が液体の水である温度が基準になっているからで、如何に生物にとっての地球環境が水に依存しているか、即ち、約300度の下駄を履いた約100度の温度範囲で全ての生物が生きていることがわかる。ヒトの場合は、体温約36℃、それより気温が10°高くても、30°低くても裸では居られない。食べ物飲み物を通じてであるが、90℃の熱源を通じてエネルギーを得て、3℃に余熱を捨てて活動する約1kWの熱機関が人間であるという見方も成り立つ。そうした見方からすると、化石燃料の浪費で肥大化した現在の世界人口は、すでに地球が自然の状態で養える人口を超えているようである。石油の需要供給のバランスが崩れる、いわゆる、石油ピークはあと20年後に来るという予想がある。その前に、人類は自らの手でカタストロフィーを乗り越える文明の進化をしなくてはならない。
21世紀、人間進化の原理を見出すべく、世界中が苦労している。第一の原理は、言う迄もなく、生命の継承である。第2の原理は、ノアの箱船論ではなく、地球環境の保全でなくてはならない。そして、第3の原理は、新しいエネルギーの創生であろう。ロシアは北極海油田を、アメリカはアラスカのオイルサンドの開発を考えていると聞くが、これらは子孫のために残すべき資源である。原子力発電は、数10年間の繋ぎにはなるであろうが、これも有限な資源である。水力・風力・地熱など自然エネルギーは、大いに利用すべきであるが、増えすぎた人口に対し絶対量が充分とは言えない。太陽エネルギーや地熱の利用効率を格段に高める必要がある。海の表層と深層との温度差を利用する海洋発電は、温度差が小さいので実用にならないが、火山島地下1000mのマグマの高温と3℃の海水との温度差を用い、水深1000mの高圧による沸騰点上昇を利用して水蒸気タービンを廻せば、全世界が使う1000倍もの無尽蔵の発電が可能である。これを安全に運転する技術を人類は、まだ持っていないが、現有の技術だけでも、各家庭規模で石油火力より格段に安く電力を作ることはできる。
森と海が何億年の進化によって作り上げた地球環境保全の知恵に、ヒトの知恵を加え、互いに長所で短所を補う“3つの知恵”を結合する21世紀型人類進化も不可能ではない。太陽光はほぼ完全な平行光線なので、簡単なシデロスタット第1鏡で固定の第2鏡上に5倍程度の集光をし、第2鏡が更に3倍程度の非結像集光(辻内式)して、真下の多賀・海野式粘性ソーラーポンドを通じて最下段の太陽電池に数10倍集光の太陽光を入射させる装置をつくるとよい。太陽電池は、葉緑素と同じく約10%の効率で太陽エネルギーを発電又は光合成に使うが、森が水を吸い上げて風を起こし、葉緑素に達するCO2を何10倍にも増やしているように(矢吹効果)、80%以上の余熱をソーラーポンドの予備加熱に用いるのがミソである。多賀式スポンジ・ソーラーポンドは、対流阻止の海の保温機構を真似て、深さ10cm程度でも2日は保温するから、10倍集光でも1時間で沸騰水が得られる。それで、水蒸気タービンを廻して発電すれば、太陽電池と併せて発電効率30%以上、1.5m四方の第一集光鏡で、1kWの発電ができる。装置を大量生産して、20万円程度で造れば、石油火力による電力より10倍安く電力が得られよう。
現在の金融経済の破綻は、10年後の石油ピークという問題が根源にあり、緊急の施策としては複雑系科学としての経済学の復興、長期の施策としては上記の森と海と人の和の太陽エネルギー工学が有効であろう。地球環境問題と食糧問題も、また、別の角度からこれと関連して解決しなければならない。一つ注意しておきたい事は、地球温暖化も10年以内短いタイムスケールの話と10年100年1万年あるいはそれ以上のタイムスケールの話が、世界屈指の地球物理学者にも混同され、CO2によるここ数年の温暖化が将来重大な影響を持つとするジェームス・ハンセンの警告が軽視されかねないことである。ハンセンはペンシルヴァニア州立大で故松島訓さんに師事し、彼の親友レイシスと共に地球・惑星大気構造の研究を開拓した人である。約30年ほど前であろうか、松島さんに言われて学位研究のためレイシスと2人で東大天文学教室へ武者修行にやってきた。今にして思うと、スペクトル吸収線が太陽などの大気構造に及ぼす影響が短波長側と長波長側で異なることを調べていた私の理論が、彼らの地球・惑星研究の参考になったのかもしれない。地球大気は、夜昼1日周期変動があり、エネルギーの流は昼間外から内へ入り、主に夜は内から外へ出るという点が太陽などと違い、また、水の相転移の影響が非常に大きく大気構造を支配しているので、10年オーダー以上の長期予報は不可能と言ってもよいであろうが、それより短い期間でCO2の影響がどれ位あるかはかなりの精度で予報が可能である。水は、水蒸気にもなり、霧、雲、氷雪にもなる。夜は温室効果もあるが、昼はむしろ寒冷化ガスの作用が強い。人為による増減も少ない。遠赤外光に対する水蒸気の毛布効効果は大きくても、CO2と異なり温暖化ガスではない。IPCCのレポートやそれに基づく京都議定書などのCO2排出削減勧告を軽視してはいけない。
その他、食料・人口問題がエネルギー・地球環境問題とからんで、21世紀の大きな問題となるであろうが、議論が出来るほどの智識を持っていない。ただ、以前書いた事もあるが、山元学校の山元雅信さんが言うように、“休耕田の復活”は、緊急必要事である。休耕田は、アメリカ式グローバル市場経済に食料自給の要請が負けた結果であろうが、食料がバイオマスとしてエネルギー源に転用されようとしている現在、水田の持つ別の特性も考慮する必要がある。それは、水と稲の柔軟な葉が持つ類希なCO2吸収能である。政府が補助金を出して休耕田からの米価を高く買い上げて、3年の保留米期間を5年とし、年月の経った余剰の保留米を食糧不足の外国への援助、若しくは、CO2放出権の買収に使うならば、恐らく高い米価買い上げに対する外国からの批判もかわせるし、中高年の農村復帰も含め、正に、一石三鳥となるであろう。休耕田制度は、アメリカ流グローバル農業から日本の米作を保護する農業組合の苦肉の策であろうが、見直しが必要である。一元論的なイエス・ノーでなく、少なくとも3次元的配慮が必要である。
以上をもって、「3」による複雑系進化の物語とする。
『恭敬』の美学
未来創庵 一色宏江戸後期の心学者、鎌田柳コウの『心学五則』に、第一則『持敬(じけい)』持敬とは敬を持つという事にて、万事うかめず怠らず、油断大敵という事を能(よく)知りて、朝夕恐れ慎むことなり。・・第二則『積仁(せきじん)』積仁とは仁を積むと書きて、常に慈悲の心を抱きて人を利益する事なり、かくのごよくつとめてその功を積むを積仁というなり、・・第三則『知命』知命とは天命を知ることなり。・・第四則『致知(ちち)』致知とは知ることを致(きわむ)という事にておよそ天下の理を知り明(あきらむ)る事なり。然るに天下の理を明らめんと欲せば、先ず人心の体を究知(きわめしる)にあり。人心の体を究知すればこの心即天理なり。・・是聖人の学、致知を以てはじめとする所以なり。・・第五則『長養』長養とは小児を養育して成長せしむるの義なり。・・とある。
また、第二則の『積仁』について、『八則』を定めている。「第一に怒りの心を断つべし。・・第二に誹謗の言を出すべからず。・・第三に驕慢の心を断つべし。・・第四に妾に財宝を費やすべからず。・・第五に人に接(まじわ)る時常に顔色を柔和にすべし。・・第六に言を謹んで妾に悪口などすべからず。・・第七に若(もし)家に害なき所の財宝あれば貧者または乞食などに施すべし。・・第八に物の命を惜しむべし。・・」とある。
第一の『怒りの心を断つべし』と戒めている。ギリシャのことわざには「友情のつとめを果たすためには、何年もの塩を舐めねばならない」とある。日本の家訓や遺訓には、「神仏を敬え」『持敬』が多くある。世の中には、立派なもの、美しいもの、至高の存在に対して、敬う姿勢を決して忘れてはならないことを教えている。
民芸研究家の柳宗悦氏は、『一生拝み讃えるものを持つ者は幸せである』と言った。それは己をひきしめ、清め、高め、そして悦びを与え、苦しみに耐える力を与えてくれる。「併し拝むものを外に求めなくともよい。とりわけ大きなものを見なくてもよい。小さな自然のなかにも、深々したものが見出されよう。それにも増して、何か心のうちに犯すことの出来ぬものを見出すなら、それでよい。驚きを抱くものは幸いである。その驚きは、実は自らの心を離れてあるわけではない。拝むものを持つのは、内に何か通じるものがあってのことであろう。・・この心を持つことことに人間の真の幸福が宿ろう。」まさに『拝む』祈りの一念は、一面的には、より偉大なるもの、絶対的なものを意識し、その実在に対して、静かに自他を顧み、謙虚に内省し、一層の研鑽と人間的向上を決意することもできるものであろう。祈りを持って絶対的な実在に帰命する姿勢のなかに、実は自身の本然の発揮があり、同時に他者への慈悲という生命の転換を可能ならしめる力が秘められているのではないだろうか。哲人は言った。『世界共通で最も美しい、人間図・・それは“祈っている人間の姿”である』と・・・
花と話す水木鈴子さんの詩「寒椿」
水木鈴子どんな一日であっても、
「今日一日よく頑張ったね!」と、
自分で自分に素直に言える人間って、
すごい!ですね。
ほんわかとあなたに見とれているうちに、
「自灯明」ということばが浮かんできました。
あなたの美しい存在は、
あったかーい希望と勇気を与えてくれます。
『コトバから見た:祖先の地、満蒙』
桑原亮人(ジャーナリスト) 東京雑学大学「学報」より転載)私は12歳のとき、生家が倒産し、父親に連れられて関東州の大連に移住し、周りに一人も日本人が見当たらない貧民窟で暮らす羽目になりました。私はその地で生き抜くために、必死で現地語の習得に励みました。大連の現地語は、中国山東省訛りですが、コトバの仕組みが、日本語とまるで違うことが、すぐに判りました。第一の注目点は語順の違いです。第二の注目点はコトバに助詞がつくか、つかないかという点です。五年後には二等通訳の免状まで手に入れました。
折から、全体の景気が少しずつ底離れし始め、私は満州国立建国大学受験も許され、何とか合格致しました。この大学の学生は、満州国在住の五つの民族に限られ、私はその大学の四期生ですが、学生は全員、構内にあって塾と称する小さな独立棟で、寝食を共にしながら勉学を共にしました。この大学はその外に毎月五円ずつ津留(ジンテイエ)と称する手当まで貰う類のない特色を持っていました。
ここで私は、大和民族の古代史に関心を深め、図書館で本漁りをした末に、古事記より古い歴史書が日本内地に三冊現存することを知りました。中でも常陸国竹下家に在る『竹下文書』に引きずり込まれました。およそ一万六〜七千年昔のこと、大和民族の祖先は、ユーラシア大陸北方のうち、一番東を持ち場とする狩猟民族でしたが、突然全地球規模に大寒波が襲来して、生き抜くために協議の末、南の温かい土地に移住する外に方策なしとの結論に達し、まず真南の蒙古へ行って農耕を覚え、次に東隣の満州、さらに朝鮮を経由して、約四〜五千年もかけて日本列島に辿り着きました。これこそ大和民族の祖先です。バイカル湖畔を離れてから約一万年、蒙古や満州、朝鮮からさらに日本列島に住むことになった人たちこそ、人類学上からは全てツングース系と総称される人たちです。先祖代々引きついで今日に及ぶコトバの仕組みで全て同一であり、乳幼児のお尻に“蒙古斑点”引き継いできたのが動かぬ証拠です。
「父母の思い出」二通の手紙より
ご高齢の方々の親の代の歴史は、政治的な記録や文学などはあるものの、個人の生き生きとした姿が書かれた文章はあまり残っていない。以下に、時代の流れを記録した二通の強く印象に残った手紙を二三紹介する。(文責:編集者)
「母が歩んだ一生の足跡」
周明徳- 1898年、東シナ海に面した淡水街の北西岬の寒村「沙崙」で半農半漁を営む曾家の長女としてうまれ、5歳に纏足をさせられ、18歳で周家に嫁いで来た。
- 5男5女を産む。初産は女の児(1916年生まれ。現、台北市在住)。90歳誕生記念祝賀会には、この子女10組のカップルは全員参加した。
- 次女出産の年(1918),纏足をほどいて此の悪習に終止符をうった。
- 台湾沖航空戦の初日(1944-10-12)米軍の空襲によって夫を失う(夫婦は同年の47歳)3名の娘はすでに嫁いでいた。
- 70歳の年(1967)、丈夫だった歯が初めて治療を受けた。
- 81歳の年(1978)と84歳の年(1981),長男・明徳がお供してジャンボ機に搭乗し、Maryland/USAにすむ末子・明達を訪問した。明達夫婦はともに気象学者で現役時代の当時はNASA(米航空宇宙局)で勤めていた。
- 103歳(2000)ころ、日常生活の行動が不自由になったので、近くにあるキリスト教会経営の介護院「護理之家」に入院した。
- 109歳(2006-6-4)天命を全うし、解脱そして昇天した。(年齢は数え年)
台湾方言「白脚蹄」に因む秘話
軍艦松島・馬公軍港・七里ヶ浜哀歌
周明徳
軍艦松島は日本海軍最初の連合艦隊の旗艦だった。しかし日清戦争黄海海戦(1894-9-17)で戦勝を博したこの旗艦は終始厄運が付纏う「白脚蹄」だった。(註:蹄が通常の黒色でなく白色を呈している豚を台湾では白脚蹄と称し、厄運をもたらす不吉な言葉に使われて嫌がられる。めでたい婚約の儀式の際に使われる処理済みの豚の一部である太股のついた生の脚には必ず蹄を残し示す。「白脚蹄」を回避する為である。)さて、松島鑑が最初に発生した白脚蹄現象と言うのは日清戦争黄海海戦中だった。清国海軍の戦艦「鎮遠」から発射した主砲の30.5cm砲弾一発が松島艦に直撃し、装薬が引火爆発、そして瞬間に90余名の死傷者が出た。この被害者数字はこの海戦における日本軍側の犠牲者の約半分に当たる。この引火爆発の最中、燃えさかる艦上で瀕死の重傷をおいながら「まだ『定遠』は沈みませんか」と上官に訊ねた一水兵のストーリーが佐々木信綱作詞の軍歌「勇敢なる水兵」のモトになった次第である。松島鑑が明治41年(1908)4月30日、台湾海峡の馬公軍港で自爆した。(拙著、完結編・老いらくの消閑参照)ところがサルベージによって引き上げられた松島鑑にあった一隻のカッターを2年後に鎌倉七里ヶ浜沖で12名の逗子開成中学校の生徒(うち1名は小学生)を乗せて時化に遭い、全員カッターとともに沈没して死亡した。
七里ヶ浜哀歌(作詞:三角錫子)は、白脚蹄だった松島鑑の怨霊が無垢な12名の生徒にまで及んだ悲しいものがたりであった。そう言った経緯で七里ヶ浜哀歌は台湾と奇妙なコネを持つわけである。
- 間白き富士の嶺 緑の江ノ島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の雄々しきみ霊に
捧げまつる 胸と心 - ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も浪も 小さき腕に
力も尽き果て呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里ヶ浜 - み雪は咽びぬ風さえ騒ぎて
月も星も影をひそめ
御霊は何処に迷いておわすか
帰れ早く母の胸に
(インターネットに、曲に合わせて歌える英訳あり!)
「天下の奇勝鬼押し出し・冬の浅間山観音堂」
小林節子小田川方子様: 小田川様から頂いた絵はがきに「天下の奇勝鬼押し出し・冬の浅間山観音堂」とあり、はじめは何気なくみていたのですが、そのうち、もしかしたら、ということで、私が29歳の時、私の父・山本寅男の一周忌にあたって父の遺作の一部を小冊子にまとめたことがあり、それを思い出したのでした。私の家は海産物の商売をやっていましたが、父は若い時に無理がたたって目が不自由になり、商売は続けられたのですが、自分で筆記できなくなってからは、人を頼んだり、また高校時代の私が父の口述筆記をしていたということがありました。父は若い時に人生に悩み、その中で釈尊・法華経・日蓮の信仰をつかみ、その信仰のもとで商売をして、姉と私の姉妹を育ててくれました。気性の激しい人で、母は苦労しました。その様な父でしたので、私にも釈尊のこと、法華経のこと日蓮のことを(一方的に)話していました。当時は反発しましたが、あとになって、私も仏教に関心を抱くようになり、本来の仏教とは何なのかと、私が仏教信仰をずっと考えるということになりました。一周忌の時に出した冊子に確か「鬼押し出し、観音」に関係することがあったはずだと思い、冊子を開いて見ますと次のような記述がありました。
『昭和三十八年六月二十三日、剣友会同級生一同、観水楼を立って鬼押し出しに向かう。見渡す限り広々とした溶岩の地には、草木のひとつだに無き如き様子。天明三年七月浅間山大噴火のため溶岩激しく流出し、二十余ヶ村を焼破埋没す。その悲惨なる運命の死者の霊に手向く。 バス停留地の近くに西武鉄道の建立せる観音堂あり。されど自分は思想的に観音を拝し難く、又、視力不明にて歩行おもわしからず、そのため同級生のご厄介になることをもはばかりなり。されど、観音はこれを仏教史上その聖典よりみて、釈尊の異体、又は、真理の表化物とみるところにおいて一句をなす。
溶岩に 咲く蓮もあり 観音堂
溶岩の 荒地に香る 知恵の蓮 』
小田川利嘉先生のいいお話
(「白寿への健康法と心がまえ」より)
海野和三郎記
近況 腎不全(満97歳)
私はいつの間にか年を取り、満九七歳になりました。自分でもよく生きたとおもうこともあります。
体調はマアマアの状態で毎日を送っています。
何事も無理をしないように心掛けています。自分に出来ることは何でもするようにつとめています。
運動は週二回、ヘルパーの付き添いで一時間位散歩をしています。毎日縁側で自転車こぎを十分間やっています。
耳は難聴で、補聴器を使っていますが、電話では相手の話がよく分からないので困っています。眼は去年白内障の手術をした結果、今まで見えなかった遠方や細かいものがよく見えるようになり、喜んでいます。
医師の薬は、高血圧と腎不全の薬を飲んでいます。それと漢方薬の八味丸(老化防止のため)と釣籐散(物忘れ防止のため)を服用しています。 漢方のツボ刺激も、毎日重要な点を三十分ばかり続けています。
今まで入院したことは、六八歳の時、前立腺摘出のため虎の門病院に三週間、六九歳の時、交通事故による足の骨折で近所の外科に三週間、去年、白内障の手術で虎の門病院に二週間の三回です。以前から尿に少量のタンパクが出ていましたが、自覚症状は何もないので、医師も重視しませんでした。ところが去年、自治医大の大宮医療センターで診察の結果、腎不全と診断されました。
最初は毎日の食事を食塩5グラム、タンパク質四十グラムに制限されて、大分不自由をいたしました。その後経過が順調なのでタンパク質は五十グラムまで緩和されて、この頃は食事にはあまり不自由を感じなくなりました。
しかし腎不全は、生涯の病気であり、全快することはないとの事で、根気よく闘病を続けていくより仕方ないと思っています。
私はこれまでよき医師の世話になり、よい薬局にめぐりあい、進歩した西洋医学と伝統の東洋医学双方の恵みを受けたお陰で、長生き出来たと深く感謝しています。
これからも一日一日を大切に過ごして、家族にもなるべくせわをかけないように心掛けて行きたいと願っております。(平成十一年九月)
Zen and Christianity From the Standpoint of Absolute Nothingness By Eiko
Hanaoka
禅とキリスト教:絶対無の立場から 花岡永子著を瞥見する
海野和三郎記友人の法橋登という奇人が、共通の友人花岡永子さんの英文の大著の紹介を、こともあろうに、天文屋の私に押しつけてきた。花岡(旧制川村)永子さんは、曾祖父、祖父母から両親の代まで、儒教・仏教・キリスト教を中心にきわめて自由な宗教的家系の学者一家に育ち、京大の学生であったときにはカルビン派の教会で洗礼を受けたという。故西谷啓治に師事して西田哲学と東西の宗教哲学を会得した極めて真摯な哲学者である。その哲学者としての集積を結実したのがこの著書であるとしたら、これをまともに紹介できる人は居ないかもしれない。それを天文屋の私に押しつけたのは法橋奇人のイタズラである。
この本は、欧米での英語での学会発表や講演をまとめたものというから、そのこと自体、世界の宗教や哲学に対する大きな貢献である。序文に続く第1部は『禅』、第2部は『西田幾多郎・田辺元・西谷啓治らの哲学』、第3部は『禅とキリスト教』、という構成である。しかし、この著書の意図するところは21世紀人類の魂の救済となる新しい宗教哲学の提唱にある。仏教・キリスト教・イスラム教が必ずしも世界平和の宗教でなく、時には、戦争やテロの根源となっているのは何故か、科学・技術の発達に対して道元・空海・親鸞の世界観が社会を支配する力が弱まっていくのは何故か、これらを宗教哲学の立場から理解し、ブッダ・キリスト・マホメットの超越的精神性と異なり、道元・空海らの社会的・男性的構想力でもなく、大和撫子の母性的創造力で21世紀人類生存の危機に立ち向かう決意の表明がここにある。
第T部 禅
第1章:禅に於けるカオスとコスモス;その第1節に、カオスはコスモスの中の創造性、とある。いきなり荘子にある、混沌さんが七つ穴を開けられて死んだ話がでてくる。新時代への進化はその時代の混沌の中にこそある、といった、西洋哲学と一味違う書き出しである。第2節:カオス対コスモス、西洋的論理学と自己認識の説明に、ハイデッガーやヘーゲル、華厳のダンマなどが奮闘する。第3節:空の世界、その説明に、田辺元、宇宙物理学者として知られるC.F.von Weizsaecker、西田幾多郎、Nagarjuna、西谷啓治が登場する。第4節:多くの「無」の中に、何事も知るにはそのものになりきる必要がある。座禅ではそれを直感する。第5節:心の構造、カオスとコスモス、ここでは西田哲学でいう『真の自分』、自己中心性から離れ無の世界に開けた花岡さんの悟りの世界が書かれている。第6節:禅の『心』:良寛さんや芭蕉、西行の俳句や言葉のなかに禅の心を見る。日本語は論理的でないが“てにをは”があるので、感性や悟性のデリケートな表現は比較的容易である。悟りの世界の日本語による記述を英語で、事もなくやってのける人は他にいない。東洋の心を英語で世界に伝えた世界平和への貢献は、然るべき外国の哲人とともにノーベル平和賞に値する。
第2章:禅とすべての始まり;先ず、第1節:十牛図とその解説、がある。第2節:“一は多であり、多は一である”禅、老子の『道』のような禅の認識の話。第3節:物事の始まりや創生における差異と同一性:良寛さんの詩や芭蕉の奥の細道を通して、物事の始めは内から発し、その意味で、一から多を生じ、多の中に一を見る禅の認識。
第3章:絶対無の体験;第1節:相対的無と虚無、第2節:相対無と絶対無、この2節の前に導入の解説があり、それによると、同じく「無」といっても、人により、時と所により、物事に関して、あるいは心の問題、自己に関して、または全宇宙的な意味の「無」がある。それで、第3節は、「絶対存在と絶対無」であるが、どうやら、それらの意味は、荘子がよくやるように、言葉の通常の論理的な意味と逆転しているのかもしれない。第4節:哲人の文章に表れた絶対無、「絶対無の開け」という言葉がよく出てくる。第5節:“哲人の文中の「絶対無」を体験する”、では、’西田幾多郎の著作を読んで得る絶対無限の開け’を得る感動の体験が語られる。 実は、花岡さんに刺激されて、私も「因陀羅網」の幾何学モデルを考えたことがある。ピラミッドを縦に四つ切りにし、高さが半分より高い4個の子ピラミッドを造ると、その全体積は親ピラミッドより小さいが全表面積は大きい。これを無限回繰り返すと、全体積は0となるが、全表面積は無限大となる。表面に字を書いたとすると情報量は無限大となる。脳の進化のモデルでもあり、「因陀羅網」の構造とも考えられる。実は、複雑系のフラクタル次元という言葉でいうと、有限な3次元空間の中にもっと高次元のフラクタル構造を造った結果であって、高次元の世界に入ると低次元では見えない「開け」がある、ということに他ならない。「十牛図」の解説書の著者、上田閑照さんにこの話をしたら、「宇宙のトラさん」という渾名を頂戴した。(閑話休題)
第4章 座禅とは何か? 脱線したので、少し急ぐ。
Kierkegaard(1813-1855)の「野に咲くユリから何を学ぶか、空に歌う鳥から何を学ぶか」や、大灯国師の詩がある:
(英訳)Unlimitedly pulled apart
But not separated for an instant;
All day long facing [others]
But not facing [anyone] for an instant.
第5章 禅に於ける慈悲(Compassion)
夫君を癌で亡くされた花岡さんがキリスト教の愛の世界のみには生きられず、菩薩の慈悲の探求に没頭した記録である。
- The Bodhisatva of Compassion
- The Ten Oxherding Pictures in Zen
- The Vow of Humankind in the F.A.S . -Society
- The Compassion of Kannon as that of the formless self
段々私の手に負えなくなってきた。英文のままの章立てとする
第6章 What is it to be human?
- The Zen Perspective on Women’s Liberation-
- The true self in Zen
- A Woman movement on the ground of the true self
- The true self in the Ten Oxherding Pictures in Zen
第7章 What is the true Self of each Person
-Through the “Ten Oxherding Pictures” and “Indra’s Net”-
- Five Paradigms as basis of thinking
- The Ten Oxherding Pictures and Indra’s net
第8章 Zen and Politics
-Hoping to arrive at Indra’s Net-
- “A Philosopher-statesman” in Platonic idealism
- Politics in the absolute infinite openness in Zen
- Philosopher- politics and Indra’s net
第9章 Kigen Dogen and Soeren Kierkegaard
-Self and Nature-
第U部 西田幾多郎、田辺元、西谷啓治等の哲学
第10章The Logic of the Field of Absolute
Nothingness in Nishida’s Philosophy
- The original religious experience and its expression in Nishida. 1.1 The pure experience as religious experience 1.2 The Deepening of the expression of “pure experience” as religious original fact in the philosophical level 2. The Significance of the logic of the field of absolute nothingness in the contemporary world 2.1 The meaning of logic in Nishida 2.2 Three principles of thinking and logic of emptiness in Nagarjuna 2.3. The relation between being and nothingness
第11章 The Logic of Species and the Pursuit of True Reality
- Science and Religion
- Modern Science and Technology
- Cosmic anxiety and true freedom
- The logic of place and the logic of species
- The relationship between dimensions
- When the horizontal dimension crosses the vertical
- True reality
第12章 The Problem of Philosophy and Religion
―Through the Philosophy of K.Nishida, H.Tanabe and K.Nishitani―
- Religion and Philosophy in Nishida, Tanabe, and Nishitani
- Relation between religion and philosophy in Nishida, Tanabe and Nishitani
- New philosophy of religion requested in the 21st century
第13章 The Philosophy of K.Nishida and the Problem of Nihilism
第14章 Christianity and Buddhism in Nishida’s Philosophy
第15章 The Relation between “Knowledge of Form” and “Form of Knowledge” as Understand through the Philosophy of Whitehead and Nishida
第16章 Substantial and Non-substantial Way of Thinking ―Through S.Kierkegaard and K.Nishida―
第17章 The Concept of God in Global Dialogue
―Is the Question of God Meaningful for a Budhist?―
第18章 Self-Awareness in the Field of Absolute Nothingness ― Comparison with Whitehead ―
第19章 An Inquiry into the Bioethical Basis
第V部 Zen and Christianity
ここからが、花岡さんが21世紀の世界人類におくる悲願の提言の集大成かもしれない。
日本語には、‘てにをは’があり、漢字に‘かな’があり、音読み訓読みローマ字表示など自由自在の表現ができるので、宗教哲学のような言語表現の困難なものを表現するにはよいが、やや論理性に欠けるので、他国の人には理解されにくい。その困難を英語で乗り越えると、実は、もう一つの重大な意義が発生する。それは、日本人自身の理解が英語によってもっと高い次元での理解につながる可能性が高いことである。それを示したのが本書である。
(丸善京都出版サービスセンター制作)
東洋の哲学(研究会講義資料)
山岡萬之助著日大の実質的な創始者と目される山岡萬之助の講義録が見つかった。書かれた時代(1965年)を越えて、前記の花岡永子「Zen and Christianity」との相互参考文献として絶好である。(編集者)
第一章 インドの哲学
第一節 インドの歴史
インドは四千年前すでにトラヴィタ人が先住していた。1500B.C頃,インドにアーリヤ人が侵入、バラモン教を成立させた。僧侶(バラモン)を支配者とする四種姓(カースト)を中心とし差別的・保守的であったので、その反動としてB.C.500年頃シャカ(仏教)とマハーヴィーラ(ジャイナ教)が立ち上がり、非バラモン的思想として一大潮流となる。
仏教の隆盛によって一時バラモン教は衰えたがが、紀元8世紀にラージプート族のインド支配によって、バラモン教は民間信仰を取り入れたインド教として復興した。しかし、1206年、イスラム教徒によってその主権を奪われ、仏教はインドから姿を消した。1859年、ムガール朝の滅びるまでインドはイスラム教の支配下にあった。その後、イギリスのインド支配の進むにつれて、インド教の勢力を回復、現在独立国インド連邦として住民3億のうち9割はインド教である。
第二節 インド哲学総説
インド哲学の一般的特徴は直観的であり、宗教的目的と不離な関係にある。すなわち、宗教的実践によって、苦しみのりんねの世界を脱して解脱の境地に至らんとする。
インド思想はバラモン教から現代のインド教に流れるものが主流であるから、仏教を除いてインド哲学と称する場合もある。そこで、インド思想を、バラモン教・仏教・ジャイナ教に分けて述べることとする。
第三節 バラモン教
バラモンの思想は、第一にB.C.1500年よりB.C.500年に至るもので、ヴェーダの文献及びその付属書を中心とする。第二に正統バラモンの流である紀元200年頃の六派哲学であり、さらに第三は古代バラモン思想の有神論的復活である。
第一 @ヴェーダ ヴェーダは智識を意味する。インド・アーリャ族によってつくられた多数の神々に対する賛歌集であり、バラモンの根本聖典である。四種があり、リグ・ヴェーダが最も古くB.C.1500-1200年頃に成立したと言われる。宇宙の根源は唯一と説く天地創造の歌である。
A ヴェーダの付属書として、ブラーフマーナ(梵書)アーラヌヤーカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)、がある。ブラーフマーナは、B.C.1000年から800年頃の成立で、ここでは次第に宇宙の統一原理も深められ、リグ・ヴェーダにおける唯一者は世界の創造主であるとともに支配者であるとする。
ウパニシャッドは、特に古代インド哲学思想の源泉であり、B.C.800年から500年頃の成立である。ここでは、多数の自然神はブラーフマン(梵)という唯一の霊体に統一されこれが人間の霊魂であるアートマン(我)と同一視される。すなわち、アートマンは自我を示す一方、宇宙の本体の意を示す(アートマンはもと呼吸の意)。
ウパニシャッドでは梵我一如を説いた哲人はシャーンデイルャである。これを継承したウッダーラカアールニは古代の代表的哲学者である。個人及び世界は千差万別であるが、根底より見れば万物同一で、ブラーフマン・アートマンを中心本体とするのであり、量的差異があるのみである。「汝はそれなり」「我は梵なり」はウパニシャッドの二大格言である。また絶対者は有であり、有から火・水・食物(地)を生じ、三大元素により万物は成立する。人間も同様であり、人間は真理たる有を悟ると死後完全に有と合一し、もはや再生せず解脱に至るという。なお、ヤージュニャ・ヴルキは、アートマンの本質を唯一絶対の純意識とし、主観客観を超越した言表に絶したもので、ただ「否、否」と表現されうるのみと説く。一切に根源たるアートマンの真理自覚が肝要とした。(以下 次号に続く)